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ひ弱な野生児 その1



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カウボーイ募集中 その6からつづく

野鳥さんが来てくれたおかげで私も楽になって来ました。

ちょうど妊娠したことがわかった時だったので本当に助かりました。

暑い季節が来てお腹が大きくなった私はカウガールの仕事がだんだんきつくなってきました。

やせっぽちで寒がりだった私もお腹にいつもカイロを入れているみたいに

「暑い、暑い」

を連発していました。

仕事の合間の休憩時はクーラーの冷気を直接受けて体を冷やしていました。


牛舎の牛にエサをやるのも、一苦労です。

飼槽(コンクリート製のエサ箱)に新しいエサをやる前に、前回のエサの喰い残しを取り除き、竹ぼうきできれに掃くという作業があります。

普段はどうということもない軽作業なのですが、身重の時はこれが辛い。

特にかがんで飼槽の中の草の残りなどを拾うのが大きなお腹の身には苦しいのです。

「ふーっ、ふーっ」

「何やってるんだよ、早くやれよ」

「やってるわよ」

「モタモタしないで、もっとパパッとやれよ。ホウキで早く掃いてくれないとエサがやれないだろ。サッサとやれ、サッサと」

「ん――ん、もう頭に来た、もうこんなのいやだ!カウガールやめたっ!」


男である夫には妊婦の辛さがわかりません。

そういう私も以前は、つまり妊娠前にはこういうことが全然わかりませんでした、

妊婦さんが、ただ坂道をゆっくり歩いているだけなのにフウフウ言って、息が上がっているのを見てふしぎに思っていました。


(そんなにキツイかなあ、体重が3~4kgくらい増えただけでしょ)
とか、(普段からよほど運動不足なんじゃないの?)

くらいにしか思っていませんでした。

今もしそう思っている人がいたら1度妊娠してみるとわかります。

体重が重くなった、お腹が太った、だけではないのです。

体内にもう一人人間がいるのです。

胎児はへその緒を通じて呼吸しているわけです。

つまり妊婦は二人分の呼吸をしているのと同じです。

安静にしていても軽い運動をしている時と同じくらい酸素を使っているわけです。

それが運動をするとなればもっと酸素が必要になってちょっと動いてもハアハアしてしまいます。

おまけに平素から低血圧で貧血だった私は、お腹が大きくなってからは座っているだけで肩で呼吸するくらい息が上がって、酸欠状態でした。

これでエサやりの仕事をすれば、空気の薄い高地で動くみたいなものです。

それなのに「サッサと動け」などと言われたのでプッツン来てしまいました。


「来週の東京行きの切符 予約したから」

「ええっ?出産予定までまだ3ヶ月以上あるよ。だいぶ早くないか?」

「いい、少し早めに飛行機に乗らないと心配でしょ」

「まあ、そうだけど」


出産予定日まで1ヶ月未満の妊婦が飛行機に乗る場合、医師の付き添いがないと搭乗を断ることがある、と航空会社の

案内には載っています。

機内の気圧の変化で産気付いて、最寄の空港に緊急着陸、とか機内で出産となったらタイヘンです。

横浜の実家で出産を希望していたので早めに移動することにしました。

カウガールでこき使われる牧場から脱出です。


高齢出産で不妊治療の末にやっとできた赤ちゃんです。

二度目はもしかするともうないかも知れないと覚悟していました。

だから大事を取って、病院に近く、便利のいい実家に行って出産することにしたのです。


もう一つの理由は、離島でしかも牧場があまりにも僻地だから、ということです。

具合が悪くなっても野中の一軒家です。助けを呼べません。

救急車に来てもらうとしても離れた消防署から救急車は来るのです。

しかも病院まで20㎞。

出産後も近所の家のない牧場で夫婦だけで赤ちゃんを育てるということになるわけです。

初めての子育てで何もわからない新米の母親としてはちょっと不安だったのです。


一人で飛行機に乗ることになりました

預け荷物の中にベビーベッドがあります。

石垣島の知り合いがお下がりのベビーベッドをくれたので、産後すぐ使えるように実家に持って行くことにしたのです。

宅配便で送ると梱包や送料がめんどうですが、乗客の手荷物ならタダです。


「じゃあね、行って来るね」

「ああ、気をつけてな、元気な子をブリッと産んで来いよ」

「プリッと産んで来るわ」

行きは一人で飛行機に乗って、帰るときには赤ちゃんと二人になって帰ってくるのです。

「人間を増やして帰って来るなんて女は偉大だ」

妊娠したくても不可能な夫はつぶやきます。



離陸して数時間後には折りたたんだベビーベッドを荷物といっしょに持った私は羽田空港に降り立っていたのでした。

実家で世話になりながら出産の日を待ちます。

年末のはずの予定日が近づいても兆候がありません。

高齢出産のためでしょうか、


「全然陣痛もないし、子宮口も固いなあ。帝王切開にしましょうか」

「え!自然分娩は無理なんですか?」

「ううううん・・・それじゃあもう少し様子見ますかね、」


結局年内には陣痛も来そうもないようなので年明けてから入院して帝王切開することになりました。

「プリッと産むつもりだったのになあ」

「仕方ないさ、年明けたら時間作って子供の顔見に行くよ」


大晦日の朝になってついにその兆候が始まりました。

まだまだ先は長くなるでしょうが、一応その日に産院へ。

入院はしたものの、陣痛らしい陣痛も来ないし、子宮口も開かないし、お産は始まりません。


「こりゃ、やっぱり年末年始の休診日が開けてから帝王切開ですね」

「は、はい、よろしくお願いします」

産院で様子を見ながら年越しすることになりました。


元旦の食事はきれいなおせち料理。

「わあ、正月に入院というのもラッキーだったかな、フフフ」

などとのんきに暇そうにしていましたが、夜になると何度もトイレに行くことになりました。

妊娠中は便秘になる人が多いようです。ホルモンの関係か、運動できないせいか知りませんけど。

トイレに行ってどんなにがんばっても解消しません、便秘。

「ウ――ン」

苦しいものです、便秘。

赤ちゃんだけでなく、ウ○コまでプリッと出てくれません。


何度も大きいお腹でベッドを上がり下りしているうちに、

「パシャ」

あれ!・・・もしかして・・・破水?

すぐにナースコール。

「あらら、破水しちゃったのね。お腹に力入れたんじゃないの?できるだけ動かず安静にしていてね。破水は一度始まったら止めることはできないから」

さっきまでなかなか出て来なかったのを無理に出そうとしていたのは、ウ○コではなくて胎児だったのでした。

どうなっちゃうんでしょう。

助産師さんは宿直でいてくれましたが、帝王切開となれば執刀は医師でなければなりません。

「困ったわねえ、先生は今夜の産婦人科仲間の新年会に出かけられたのよ」

「えええっ!」

携帯電話が普及する前のことです。

お腹に心電図を見る線を着けられて監視体制に入りました。

「微弱な陣痛がある度に胎児の心音が弱くなるのが気になるのよねえ」

「何か異常でも?」

「そうかも知れないけど・・」


早く帰って来てくれないかな、先生・・・。

ひ弱な野生児 その2につづく




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ひ弱な野生児 その2 ターザン都会へ行く



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ひ弱な野生児 その1からつづく




このまま先生が今日中に新年会から帰って来なかったらどうしましょう。

母子ともに残念なことに・・なんて言ったら、総合病院の待合室の大泣き夫の再現になってしまいます。

お腹が張って少し痛くて苦しかったのは、便秘ではなくて弱い陣痛だったのでした。

無理にいきんではいけなかったのです。


 時々お腹がキューッと張ってくるとそれに合わせたように胎児のトクトクトクという心音が、トック、トック、トックと遅くなります。

本当はそういう時に速い心音にならないといけないそうです。

どんな異常があるんでしょう。生きて産まれて来てくれるでしょうか。

ハラハラしていると夜更けに産院の玄関を開ける音がしました。

先生が戻られました。新年会にしては早い時刻です。

「先生、あの患者さん、破水しちゃったんです」

「え」

助産師さんと先生が何かまだ話しています。

「患者のことが心配だったから飲まずに新年会を早めに抜けて来たんだよ」

(やっぱり・・・。良かった、泥酔してなくて)

産婦人科の先生ともなると、出産を控えた入院患者がいる時はゆっくり酒を飲んでいることもできないということですね。たいへんです。


元日の夜に緊急に帝王切開ということになりました。

普通は帝王切開は2名の医師が執刀するのだそうです。

産まれた後は、妊婦と新生児と両方の手当てが必要だかららしいです。

前もって予定していれば医師2名が準備に当たるはずですが、この日は全く予定外。

もう一人の医師を、しかも元日の夜中に確保するのってむずかしいことなのです。

この近くのほとんどの産婦人科医師は先ほどの新年会に参加していたのです。

先生はどこかに電話していらっしゃいます。


「ボクの姪っ子が来てくれることになった」

「お迎えはどうします?」

「自分で車を運転して来るそうだ。30分もかからないでしょう」

先生の姪御さんも産婦人科の先生でしかも近くの町に住んでいらっしゃったのはさいわいでした。


 全身麻酔ではないので、痛みはなくとも意識はあります。手術中の音も聞こえます。


お腹からいよいよ赤ちゃんが出てくると思える時になってもなかなか出てきません。

出産まで便秘?いえ、こういうのを難産と言うのです。

帝王切開なのに?


先生と看護師さん二人と助産師さん二人と、計5人で引っ張ってもなかなか出てこない赤ちゃん。

「セーノー・・・、ソレッ」

掛け声に合わせて引っ張られて私の体は手術台から持ち上がってしまいます。

「もう一度、セーノー、ホレッ」

 スポッ!!


と音がしたかと思えるほどでした。

どうやら骨盤に胎児の頭が引っかかっていたようです。

心音がおかしかったのはそのせいだったのでしょう。

赤ちゃんも苦しかったのです。

(ウ○コと思ってトイレで踏ん張ってゴメンネ)


骨盤に挟まっていたために赤ちゃんの顔の半分がうっ血して黒くなって眼も充血していました。

それ以外は健康で予定通り退院できました。


赤ちゃん誕生に産院に駆けつけられて間に合ったのは、先生から直接電話をもらった私の実家の両親でした。

車で2分の距離でしたから。


牧童ガシラであるうちの夫は、年明けてから産まれると思っていたので、心の準備もなく、出産の連絡を受けて慌てました。


「産まれた、産まれたよ!」

「ん?何?子牛が産まれた?ちがう?」

まだ何日も先と思っていたので元日の夜はカウボーイたちと酒を飲んでくつろいでいたのです。

それでとんちんかんな受け答えをしています。


手術の後、翌日には自分で歩いてトイレに行くし、3日目には二階の病室から一階の授乳室まで階段を下りて行きます。

ここの産院で一日4回の授乳の時間になると病室の産婦さんたちは授乳室にぞろぞろと集まります。

この日は出産後の人が10人くらい入院していました。

助産師さんが隣の新生児室から赤ちゃんを連れて来て、一人ずつお母さんに渡してくれて授乳開始。

出産が初めての人は上手に乳首をくわえさせられなくて苦労しています。

どうにか赤ちゃんが母乳を飲み始めると、産まれてまだ数日なのにじょうずに飲みます。

痛いくらい強く吸われます。

授乳室の中では、赤ちゃんたちが母乳を吸う音と呼吸の音だけが聞こえ、静かな時が流れます。

若いお母さん方はゆったり落ち着いた表情です。

至福の時。


子供を抱いて母乳を飲ませながら、長かった不妊治療の末に授かった子を実感していました。

(今私は「お母さん」をしているんだ)

と、石垣の病院で妊娠を知った時にも、誕生の瞬間の時にも流れなかった涙が出てきてしまいました。

回りに気付かれないようにこっそりネグリジェの袖で拭いていました。


さて、そのころ牧場では正月の酒の酔いもとっくに醒めて、カウボーイ父さんはまだ見ぬわが子に会いたくて仕方がありません。

総合病院の混んだ待合室で周りが驚くほどの大泣きをした人です。

どんなに赤ちゃんに会いたかったことでしょう。

休暇の予定を考え、飛行機の切符を予約して、いよいよ上京してわが子に会いに来ることにました。

実際には産まれて1ヶ月近く経ってからやっと飛行機に乗ることができたのでした。

カウボーイの父さん。この期間、月に一度の大事な牛のセリ市があったり、定期的にする牛のダニ駆除をしたりと、牧場の大きな仕事があって島を出られなかったのです。



「ピンポーン」

実家のチャイムが鳴りました。

「あ、パパだよ」

実は、普段から外出着は妻任せだったので、どんな恰好で上京して来るか不安に思っていたのでした。

「やっと会えたね、遠かったでしょ、・・・!!何?!その恰好・・・」

「ん、おかしい?」

冬場なので一応厚手の上着を着ています。

でもズボンは亜熱帯の石垣の牧場で仕事をするときに使っていた薄手の木綿の夏用の物。

しかも布が擦り切れるくらいに何度も洗濯して向こうが透けて見えそうです。

足元は作業用の「軍足」。

足袋のように親指の所で二股になった、軍手の足バージョンです。

おまけに靴ではなく公共の宿泊施設のトイレでよく見るような安物のサンダル。


「それで飛行機に乗って来たの?」

「そうだよ、それが何か?」

髪も、いつもは伸びてくると牧場で私がバリカンとハサミで散髪してあげていたのですが、もう3ヶ月も散髪してくれる人がいなかったので伸び放題です。

自分の服装には興味がない人だからしょうがないですね。


赤ちゃんをベビーベッドから抱き上げてまだ玄関に立ったままのカウボーイ「父さん」に渡しました。

「わあ、これがオレの子どもなんだ・・・・」

感慨深げです。

待ちに待った初めてのわが子とのご対面。

「さあ、おしゃんぽに行きまちょうね、ぼうや」

(えええっ、この寒空の下をお散歩??)

新米父さん、産まれてまだ1ヶ月も経たないで首が据わっていない新生児を縦抱きにして外に飛び出して行きました。

あの恰好で。


「あ、あ、あ、待ってええ」

室内用のベビー服のまま肩に担がれたように縦抱きにされた私の赤ちゃん・・・、いえ、二人の赤ちゃんですが。


後ろから追いかけようとしましたが、わが子に会えて抱くことができた彼はうれしくてどんどん走って行ってしまいました。

肩越しに赤ちゃんの顔が見えますが首が据わっていないので頭がグラングランしています。

それに気が付いた父さん、慌てて頭の後ろを支えてやって走って行きます。


「大丈夫かネエ、アンタのダンナ」

実家の私の母が後ろでつぶやきました。

「うん、たぶん」

その時、風がピュ――・・・

う――・・・さぶ。

ひ弱な野生児 その3につづく


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ひ弱な野生児 その3 誘拐ではございません



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ひ弱な野生児 その2からつづく



赤ちゃんをかついで走って行ってしまったのであきらめて待っていました。

何分も経たないうちに近所の奥さんが慌てて小走りに近づいて来ます。

「あ、あ、さっき男の人がお宅の赤ちゃん抱いて出て行ったけど!・・・」

奥さんは焦っています。

「はい」

静かに答える私。

「あの人・・・」

「ええ」

「赤ちゃんの・・・パパ?・・・なの・・・よ・・ねえ・・・」

自信なさそうに、ちょっと不安げに、遠慮がちに私の顔を見ながら質問しています。

表情から判断しようとしています。

誘拐犯人だったら緊急事態です。すぐに教えてあげなきゃ・・・と思ったのでしょう。

でも赤ちゃんを見に来たパパならそれは失礼に当たるからウッカリ変なことは言えないし・・・。

どうしたらいいか判断に迷う所です。

ご近所に心配かける真冬のお散歩です。


やっと戻って来ました。

子どもは久々のお散歩で適度に疲れたようです。

ぐっすり眠ってしまいました。

父さんの方は、歩き回ってすっかり暑くなりました。

室内に入ってすぐに上着を脱いだのですが・・。

「あれ!まあ、半袖?」

「うん、寒くないもん」

「石垣はそうだったろうけど、ここは亜熱帯じゃないよ」

「寒くないよ、どこも暖房効いてるし」

上着の下は半袖Tシャツ1枚とは。

しかも古ぼけていつも牧場で仕事に使っていたボロのTシャツです。

「もうちょっときれいなシャツがあったでしょ」

「これもきれいだよ」

「汚いよ、シミだらけじゃないの」

「ああ、これは洗っても落ちないの。洗濯してあるから汚くないよ」

そういう問題じゃないんだけどなあ。



『ターザンも、都会に来ればタダの○○』

という川柳の通り、カウボーイ父さん、都会が似合いませんねえ。

「そうそう、羽田から来る途中、浜松町でキョロキョロしていたら、『にいちゃん、仕事あるよ、働いていかない?』って知らない人から声かけられたよ」

「それって日雇い労働の呼び込みじゃないのよ」

地方から当てもなく東京に出てきて職もなくボンヤリしている人に見えなくもないです。



親子のご対面も数日間で、カウボーイは帰る日が来てしまいました。

「早く帰って来てくれよ」

別れが名残惜しいのは女房よりも幼いわが子に対してのようです。


 牧場の仕事から解放された私は子育てに専念できて母乳もよく出て子どもとゆったり過ごす時間ができました。

初めての子でしかも長い間待ち望んでできた子、ということでつい甘やかしがちになります。

ベビーベッドに一人で寝かせるとさびしがって泣くので添い寝になってしまいます。

大きいお腹で運んできたベビーベッドですが、オムツ替えの時ばかり活用していました。

寝相の悪い私なので、寝返りを打ったはずみに、横に寝た赤ちゃんをつぶしてしまうんじゃないか、と出産前は心配をしていたのです。

それには理由があったのです。




中学時代、修学旅行の時に隣に寝た同級生は翌朝になるとひどく不機嫌な態度になるのでした。

「あなたって、ホントに寝相が悪いのねっ!フン!」

夜中に何度も蹴られたと言っていました。

それきりその日はほとんど口を利いてくれません。

私は知りません。

眠ってしまえば何も覚えていないのです。

寝ている間のことは責任が持てません。


知らない間に子どもの上に乗ってしまったら・・・。

ところが不思議なことに母親になると無意識のうちにこどもを抱いたままおとなしく眠れるものなのです。



牧場でアヒルを何十匹も放し飼いにしていました。

アヒルは倉庫の棚の上など、好きな場所に勝手に巣を作って卵を産みます。

一度に十個以上の卵を産んで温めます。

ヒヨコになるまで約1ヶ月。

親鳥は1日に1回エサを食べて水を飲むに来る以外はほとんど一日中卵を抱いています。

休む時も羽を拡げて

卵を守り、雨が降っても卵にかからないようにカバーしています。

そしてヒヨコに孵ると今度は羽の下にヒヨコを置いて外敵から守っています。

あんなに朝も夜も羽を広げて毎日よく疲れないなあ、とアヒルの親に同情したものでした。

今は私がそのアヒルと同じことをしています。

アヒルに同情する必要はなかったのです。

あのアヒルは子育てをして幸せだったのでしょう。



牧場の動物から学んだことはたくさんあります。

アヒルは水鳥なので、水に浮かぶためにいつも羽に脂を塗っています。

お尻に皮脂腺があって、そこから出る脂をクチバシで体中に塗って羽繕いをします。

それで雨に濡れても平気な顔をしています。

ヒヨコはまだ皮脂腺が発達していないので親鳥がクチバシで塗ってやります。

といっても、予防接種のように一羽ずつ順番に塗っていくわけではありません。

親のそばから離れそうになったヒヨコを巣に押し戻したり、可愛がったりするときに親の脂がヒヨコの身体に付くようです。

鳥にとってクチバシは手の代わりなのです。

ヒヨコの方も、親鳥の背中に乗って遊んだり、羽の下にもぐったりしているうちにも自然に親の脂が付くのでしょう。

こういうことになぜ気が付いたか、というと、「匂い」です。

アヒルの脂は独特の匂いがあって、ヒヨコも同じ匂いがします。

ところが孵卵器でかえしたヒヨコや産まれてすぐに親と離れたヒヨコにはこの匂いがないのです。


親に育てられたヒヨコは多少の雨でも元気に育ちます。

いつもお母さんが羽で守ってくれています。

雨がかかっても、脂を体に塗ってもらっているから水をはじきます。

濡れても親が温めてくれます。


対して親鳥と離れて人工飼育しているヒヨコは水に弱いのです。

ヒヨコ小屋にちょっと雨が吹き込んで体に水がかかると、油気のない羽毛は濡れそぼって、体は冷え切って震えています。

すぐにドライヤーで乾かしてヒーターで温めてやらないと死んでしまいます。

人間も動物もスキンシップが生きていく上で必要なのです。



アヒルを見習って私も母子べったりで一冬過ごしました。

毎日のんびりとしていると不思議なもので、高齢出産なのに母乳がよく出ます。

定期的に飲ませているので、おっぱいが張ってくる頃には赤ちゃんも飲みたくなる時間帯で泣き出します。

お腹にいた時はへその緒でつながっていた母子が、産まれてからは今度はおっぱいでつながっているのだと実感する時です。


つながっていると言えば、・・・


妊娠中は、辛い物を食べるとお腹の子に影響するのでは、と心配してくれる人もありましたが、

「胎盤で唐辛子はろ過される!」

などと適当な理屈をつけて激辛タイ料理をパクパク食べていました。

母乳にもお母さんの食べた料理の味が影響するとも聞きましたが、

「ピリ辛の母乳なんてなるわけはない!」

とやはり構わずに食べていました。

ただ単に自分が食べたかっただけですけど。


そしてその歳に猛威をふるっていたインフルエンザが下火になった春先に、親子で亜熱帯の牧場に戻って行きました。

それから大自然の中でのびのびとした育児が始まる・・・・・・はずでした。

ひ弱な野生児 その4につづく



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ひ弱な野生児 その4 亜熱帯でだいじょうぶ?



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ひ弱な野生児 その3からつづく


牧場に帰る日になりました。

石垣まで、実家から70歳近い母が付き添いで来てくれることになりました。

初めての出産でもあり、一人で赤ちゃん連れの長旅が少々心配ということからです。


羽田を昼ごろに出ると、那覇乗り換えで夕方まだ明るいころに石垣空港に着きます。

(この頃はまだ東京ー石垣 直行便はありませんでした。)


「!・・・4月なのに夏みたい・・・暑いわねえ」

東京では桜がまだ咲いていた季節だったのに、石垣は夏の日射しと気温です。


牧場に到着すると、生後3ヶ月の子でも初めての場所というのがわかるのでしょうか。

珍しそうにキョロキョロしています。


数ヵ月振りに見る我が家。

「あれえ、こんなに汚かったかなあ」

「オレが掃除なんかすると思う?」

「それは分かっているけど。なんかすごく狭い」

DKの他に2部屋ある和室は、物でいっぱい、というかゴミで満杯。

座る余地がありません。


「何?この新聞紙・・・」

「読んでそのままだから溜まっちゃったんだ」

「広げたまま・・・」

数か月分の読み終えた新聞が、開いて読んだ状態で畳の上に敷かれています。

すでに畳は全然見えていません。

新聞紙の部屋になっています。


「この部屋でどうやって寝てたのよ」

「新聞の上に寝るんだよ」

家に居ながらホームレス気分。


「ビールよく飲んだわネエ」

「空き缶か。一度も捨ててないから」

缶だけでなくビール瓶と酒の一升瓶もゴロゴロ転がっています。

他にもスーパーのお惣菜のパック容器、割り箸、湿ったタオル、・・・。

それらをズズズーッと寄せて、やっと持っていた荷物を置くことができました。

部屋がゴミで一杯と言うより、

〝部屋全体が大きなゴミ箱〟

野生的(?)なカウボーイの部屋になっていました。

この中でも赤ちゃんを寝かせるスペースを作らなければなりません。


取り敢えず、私の母に子どもは抱いててもらってゴミ片付けと掃除。

どうにか子ども布団を敷く面積は取れました。

次は隣の部屋、おばあちゃんが寝る所。こちらは新聞紙ではなくてシャツ、ズボン、タオルで埋め尽くされています。

バーゲン会場のワゴンセールのよう。

「それは全部洗濯してあるからきれいだよ」

そうでしょうか、たたんでないからグシャグシャのシワシワですけど。

臭くはないから一応は洗ってあるのでしょう。

「使う時はこの洗濯物の山から探して身に付けるのね」

どうにかそれも畳んでおばあちゃんの寝る場所も確保。


疲れたー。


翌日、よく晴れた亜熱帯の4月は強烈な日射しです。

おばあちゃんと私と、赤ん坊の「鉄兵」とで牧場を初めての散歩です。

子どもの名前は以前からのカウボーイ父さんの希望でそう付けました。

ちばてつやのマンガ、「おれは鉄兵」から付けました。

結婚する前から自分に男の子が産まれたらつけようと決めていた名前だそうです。

いかにも元気そうで南の島の牧場で野生的に育てられる男の子らしい名です。


牧場の住宅のすぐ下の斜面を下りるときれいな海に出ます。

こんな所まで来る物好きな観光客はめったに居ないのでプライベートビーチみたいなものです。

広い放牧場、牛はあちこちに散らばって草を食べています。

緑の牧草の上を渡って来る、潮風の混ざった初夏の朝の風を胸いっぱいに吸い込んだ私たち。

「ああ、大自然の空気っていいわねえ」

「いい気持ちねえ、鉄兵ちゃん」

「鉄兵君、あらら!まあ、顔が真っ赤!!」

産まれてから今まで冬の横浜の空気しか知らなかった鉄兵、亜熱帯の30度近い気温と強い日射しで熱射病になりそうです。


結局散歩は2分で終了。

慌てて家に入ってクーラーに当たっていました。

「これから本格的に夏になるんでしょう。この子大丈夫?」

「うん、・・・たぶん・・・」

しばらくは涼しい室内の生活になるのでしょう。

暑さに弱い赤ちゃんです。

これで亜熱帯の大自然の中の育児になるんでしょうか?

野生児は父さんだけだったのでした。

こうして珊瑚礁の島で、しかも僻地の野中の一軒家で、ほとんど一日中を室内で過ごす育児が始まりました。


ひ弱な野生児 その5 に続く

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ひ弱な野生児 その5 大草原のオタク系赤ちゃん



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ひ弱な野生児 その4からつづく



さてオムツの洗濯をしようと洗濯機を見ると、水が溜まって洗濯物が入ったままです。

「あれ?洗濯途中だったの?」

「三日くらい前からスイッチ入れて、それから忘れて、次の日また回して、でこんなになった」

「ゆすいで干せばいいのね?」

「ゆすぐも何も、洗剤なんか使ってないよ」

「はあ?水洗いだけ?!」

「そう」

それできれいになるのか?

どおりで昨日見た洗濯物、洗ってあるにしては薄汚れていたような気がしました。

「なんか・・・洗濯機も汚いよ。臭いし」

「そうかな」

この洗濯機で洗濯したらオムツがかえって汚れそうに思えます。

洗濯の前にまず洗濯機の中を洗ってきれいにする必要がありそうです。


「ふーっ、きれいになった・・・」

「オムツの洗濯終わったのか?」

「今からです!」


1週間後、付き添いで来てくれていた母も帰って行きました。

大草原で夫婦だけの子育てになります。

実家に居た時は周りには近所の人たちが大勢いましたし、両親と、同居の独身の弟、歩いて5分の所に住む妹などが毎日代わる代わるに面倒を看てあやしてくれていました。

ここでは5㎞四方に家はありません。

お店に至っては一番近いスーパーまで20㎞あります。

牧場で接する人間は私たち夫婦だけです。

独身従業員もいますが、家の外に出ない鉄兵とはほとんど接触がありません。

「たまにはお外に行こうか」

連れ出しますが、北緯二十四度、北回帰線の夏の日射しは真上から照り付けます。

真っ赤な顔になって苦しそうに見えて、かわいそうで、すぐに退散。

「暑いネエ、お部屋に入ろう」


なかなか外遊びができません。

夕方には暑くても日は翳ってきます。

「さあ、もうお日さまは沈みそうだよ。今なら暑くないから外に行こう」

「夕焼けがきれいだねえ。でも・・・か、か、痒いー!」

直射日光はなくなりますが、その代わり夕方は蚊の大群の襲撃に遭います。

広い草原の中の一軒家ですから蚊も集中攻撃になります。

あっという間に体中ボコボコに咬まれて腫れ上がっています。

「ヒャア、これはたまらん、逃げろー」

とまた室内へ。

夜になると眠ってくれますが、

「なんだ、寝ちゃったの?」

夜の牛舎の見回り点検から帰った父さんつまらなそうです。

「やっと涼しい時間になったんだから、遊ぼうよ」

クーラーが点けてあっても、昼間はあまり効かないからです。

屋根の上がヤケドするほど熱くなっていて室内で立ち上がると天井からモワーッと熱気を感じます。

夜になってやっとクーラーが効いてきて涼しい思いができます。

「せっかく寝たところなんだから起こさないでよ」

「だって遊びたいんだよー」

夏は異常に暑いので朝夕に働き、昼間は休憩です。

大人も休憩時間つまりお昼寝タイムが長いのです。

それでどうしても夜が遅くなります。


「自分が眠くないからって、子どもを起こして遊ぶことはないでしょ」

「良い子は夜に遊ぶんだよねー、鉄兵ちゃん」

いじくり回しているうちに鉄兵、起きてきてしまいました。

「高い、高―い」

「キャッ、キャッ、キャッ」

二人ともご機嫌です。

あああ、また今日も夜更かし赤ちゃんだ。


「もう夜中よ、うるさいですよ、近所迷惑よ」

「近所がないんだから近所迷惑はないだろう」

「でももう12時を過ぎています!」

「まだまだ宵の口だよねー、鉄兵ちゃん」

「キャハッ、キャハハハハ」

ダメだ、こりゃ。

夜更かしですから、当然、翌日は朝寝坊です。

大人は朝のエサをやるので一応朝起きますが、昼はカーテンを閉めてなかなか起きて来ない寝坊の赤ちゃんといっしょに親子で昼寝です。

夜更かし → 寝坊 → さらに夜更かし のパターンは毎日だんだんひどくなって行きました。


数ヵ月後には、寝るのが明け方、起きて来るのが夕方と、完全に昼夜逆転になってしまいました。

「まだ寝ないの?」

「やあ、絶好調だよ」

周りが真っ暗な広い大草原で、夜中なのに一軒だけ煌煌と明かりが点いた家。

そのうち少し離れた所の鶏小屋から、飼っていた一番鳥の鳴く声が聞こえてきます。

「コケコッコオー」

「ホラ、ニワトリさんが鳴いたよ、もう寝なさい」

普通は鶏が鳴いたら起きる合図じゃなかったっけ。


夕方になると楽しみにしているテレビの幼児番組が始まります。

朝の番組の再放送です。

この時はまだ石垣島では民放の放送がなく、テレビはNHKだけでした。

アニメもNHKではほとんど放送されず、小さな子が喜ぶ数少ない幼児向けの番組でした。

“お母さんといっしょ”

朝の9時半の放送分は観たことがなく、いつも夕方5時の再放送ばかり観ていました。

「もうすぐ“お母さんといっしょ”(夕方の再放送です)が始まるよ、もう起きなさい」


昼間でも室内でいっしょに遊べる友だちがいればまだちがったかも知れません。

ここでは遊ぶ相手は普段は親だけです。


昼もたまには外に出ることもあります。

「今日は草刈りしたから梱包運びを手伝ってくれ」

「鉄兵を置いて行くわけにはいかないでしょ」

近くに預ける場所も、親戚もありません。

「なんとか考えてくれ、トラックの運転だよ」

仕方なく抱っこヒモで前抱っこにしてトラックの運転席に上ります。

これでハンドルを握ります。

道路ではないから道路交通法違反にはなりませんが、好ましい姿ではないですね。

家にハイハイし始めた赤ちゃんを一人置いて仕事に行くのとどっちが危険なことでしょう。

運転席で母親の胸に抱っこヒモで縛り付けられたまま、初めは窮屈そうにしていましたが、そのうち飽きて眠ってしまいました。

お座りができるようになると、助手席に座らせてオヤツや飲み物の哺乳瓶を持たせて私は運転をしていました、

子どもを預ける場所も看てくれる人もいないとこうなるのです。

昔の農家で一日中赤ちゃんを家に置いて働かざるを得なかった若いお母さん、心配で辛かったでしょうね。


オモチャで遊ぶ月齢になると、夜中は一人でジグソーパズルをして絵本を見るのがお気に入りの子になっていました。

家にはテレビゲームやパソコンがありませんでしたが、もしあったら、完全に「オタク赤ちゃん」になっていたでしょう。


「鉄兵」という名にそぐわず、すっかり色白でひ弱な子どもになってしまいました。

暑中見舞いのハガキが来ると。大体が

「お子さんは大自然の中でたくましく育っていることでしょう」

と書かれてありました。

はい、たくましくオタク赤ちゃんになっています。

それでも人の居ない田舎でこそできる育児もありました。

それはオムツ無しスッポンポン育児でした。


ひ弱な野生児 その6へつづく



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ひ弱な野生児 その6 スッポンポンで外へ



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ひ弱な野生児 その5からつづく


周りには他に家がない、ということは人目を気にしなくてすむということでもあります。

暑がりなら服など着なくていいのです。

特に小さい子なら裸で当たり前。

家の中でも外でも裸。

これなら洗濯も楽です。

その当時、我が家の洗濯機は全自動ではなくて二槽式でした。

洗濯槽で洗った洗濯物を一回ずつ脱水槽に移して脱水スイッチを入れる。

注水も止水も手動でする実にアナログタイプの洗濯機です。

このニ槽式洗濯機で毎日30~40枚の汚れた布オムツを洗濯していたのでした。

室内ではオムツ以外は身に着けない鉄兵。

ヨチヨチ歩くようになったので、外に出て歩かせてみます。

オムツもはずしてスッポンポンにしてやりました。

何と解放的。

季節は夏が終わって暑さも一段落。

足元は怪我をするといけないので、一応靴だけは履かせます。

直射日光も当たらないように帽子も頭にかぶせて。

素っ裸に帽子と靴だけは着けて

と言うとなんだか“アブナイおじさん”みたいに聞こえますが、そこは赤ちゃんなので何をやっても許されます。

誰も見る人もいませんし。

季節も移り、柔らかい日射しを浴びて、草の上をヨチヨチと歩いています。


気持ちよくなったのでしょうか、そのまま地面に

「シャーッ」

と放尿。

その瞬間、自分の体の部分から水分が突然に放出されたことにビックリして彼は思わず後ずさりしていました。

そして自分のチンチ○をじっと見つめていました。

なるほど、人類はこうして自分の排泄の仕組みを発見するのか。


この日からオムツ無しの生活が始まったのでした。

生後1年になる前でした。

オムツをはずしてと言っても、まだまだあちこちにオモラシをしてしまうことは多く、部屋の中で雑巾を持ってオシッコやウ○チの後始末をして追いかける日々でした。

部屋全体が大きなゴミ箱と化している

と悪口を言っていた私ですが、それどころか、こんどは部屋全体がトイレになってしまいそうです。


完全に昼も夜もオムツが取れるまでにはその後半年を費やしました。

それでも紙オムツが普及している現代ではオムツが取れる時期は一般的に2歳半~3歳だと言われていますから、布オムツとスッポンポン育児のおかげでかなり早い方なのです。

布オムツの洗濯も、強い日射しの下、風通しのよい所に干せば半日で乾いてしまいますからそれほど苦ではなかったのです。

でも外出する時に大きなカバンにオムツを詰めていくのと、ほとんど手ぶらでよいのとでは大きなちがいです。

何より子ども自身がオムツを取ってもらって快適なのです。

ようやく野生児と呼べるのは「裸で暮らす」ということだけが該当することになりました。

涼しい日にはシャツも着ますが、いつも下半身は裸。

産まれる前に、気合入れてベビー服、幼児服をたくさん縫って作っておいたのにほとんど着ることがありません。

気温の低くなる冬には暖かい上着も着ることがあります。

その時も下半身はスッポンポンのむき出しスタイル。

「チ○チンが、いえ、お腹が冷えるよ、おズボン履こうね」

「イヤー、イヤイヤ」

ズボンもパンツも履きたがらず、無理に履かせると脱いでしまいます。

「困ったネエ」

「誰も見ないんだからいいんじゃない?」

上は可愛いカラフルな子供服、下は丸出し、靴も可愛いデザインの靴、で歩き回る牧場の幼児に育っていきました。


ひ弱な野生児 その7につづく



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ひ弱な野生児 その7 公園デビュー



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ひ弱な野生児 その6からつづく


近所に家がないことをいいことに、夜通し騒いで遊び、昼は一日中昼寝。

外に出る時も服を身に着けず・・・。

と、野生的というより野放図に育って行きました。

周りに友達もいないので比較することもできなくて自分の行動が変わっているとも思いません。

いつまでも接する人間が両親のみというのも健全とは言えません。


街へ連れて行って公園で遊ばせようとしました。


海に近い芝生の公園は静かなものです。

「誰も来てないわねえ」

それもそのはず、石垣島は若いお母さん方の多くが仕事を持っています。

保育所も、私立の他、保育料の安い市立保育所というのが小学校とほぼ同じ数だけあります。

公園に子どもを遊ばせに来る人はほとんどありません。

保育所でなくておばあちゃんに預けている家庭もありそうに思えますが、そのおばあちゃんも働いているのです。

まあ、遊んでいればそのうち誰かくるでしょう。

「滑り台があるよ、行こうか」

手すりにつかまって滑り台の階段を登り始めた途端、

「アツイヨー!」

鉄の手すりは強烈な日射しに焼けて、触れるとヤケドしそうなくらいに熱くなっていました。

ベンチに腰を下ろしても暑い。

「こりゃ、日中は外で遊ぶ気にならないわ」

保育所に行っていない子も家の中で遊んでいるのでしょう。

夏場は日が沈むのが午後8時ころですから、夕方になっても涼しくなりません。

ちなみに、市の中央にある大きな公園は森の遊歩道や吊り橋もある自然公園みたいな所ですが、閉門は午後9時になっています。

午後6時や7時では夏はまだガンガンに日が当たっていて帰る気にならないのです。

こうして遊ぶ相手もないまま孤独な幼少期を過ごすことになるのでした。

大草原の子育てはさびしいものです。

周りに同世代の子どもが一人もいないということは、子どもにとっていいこととは言えません。

友達とケンカしたり、オモチャの奪い合いがあったりして社会性が育つはずなのです。

他人との係わり合いがすっぽり抜けてしまっています。

接する人といえば両親と従業員、それと季節によって1~2ヶ月牧場に滞在して実習する学生です。

多くは20歳前後の大学生ですが、子どもから見ればこの人たちといちばん年が近いのです。

実習生のお兄さん、お姉さんたちは自然が好き、動物が好き、と言う人が多かったのです。

そのせいか子どもによく付き合って遊んでくれるやさしい人たちでした。

友達に飢えていた鉄兵は大学生にすぐなついてピタリとまとわりついて離れません。

実習が終わって本土の大学に帰る日になると空港に送りに行くのに鉄兵もいっしょについて来ました。

見送りにの人と別れて搭乗口に向かう学生の後について行こうとする鉄兵。

「あ、ここからは入れないよ」

止めるのを振り切って、学生につかまって強引に出発ゲートをくぐろうとします。

当然、係員に止められて入れません

悔しそうに涙をこらえています。

離陸して空港から帰るときからずっと機嫌が悪い鉄兵。

夜になって珍しく地面に転がって手足をバタバタして大泣きしていました。

「ワーン、またボク、ひとりぼっちになったー!」

そばで見ていた私も、カウボーイたちも、何と声をかけていいかわかりません。

「また来年遊びに来るよ」

「春休みになったら来てくれるよ」

と言っても、小さい子には1年先も百年先も同じことです。

〝遠い将来〟などというものは子どもにとってはないものに等しいのです。

時間の流れる速さはおとなと子どもとではちがいます。


春と夏の長い休みには数人ずつ実習生が来ます。

出会いも多いけど、実習の終わりには辛い別れがあります。

実習生やアルバイト学生が去って、広い牧場でまた鉄兵は一人ぼっちで遊ぶ毎日でした。


一人ぼっちの鉄兵の唯一の友達は家の裏にある大きな桑の木でした。

鉄兵が産まれる2年前にクワの木を家の西側に植えたのです。

そのときはまだクーラーがなく、夏の西日避けに木の日陰が欲しいと思って植えた時はまだ小さな苗でした。

亜熱帯の高温多湿の気候が合っていたのでしょう。

クワの木はぐんぐん大きくなってあっと言う間に屋根まで届く大きな木になりました。

歩き始めるようになるともうこの木に登って遊ぶようになり、木の股に腰掛けて景色を見るのが好きでした。


毎年暑い季節には桑の実がたくさん成って、木に登って摘んでは食べていました。

一人でいてもこの桑の木に登っていると落ち着くようでした。

数年後には遠くからでもよく見えるほどの大木になり

「この木はボクのトモダチ」

と公言していました。



木が友だちのちょっとオタクの鉄兵を連れて里帰りすることになりました。

飛行機の料金は3歳未満の子どもの同伴は無料なので、オムツも取れているのなら気軽に連れて行かれます。

おじいちゃん、おばあちゃんと顔を合わせて、さっそく都会の駅前の公園へ連れて行きます。


ブランコも滑り台も砂場も小さい子でいっぱい。

砂場でトンネルを掘ったり山を作ったりしている子たち。

その隣で砂のお団子を作っていた鉄兵、他の子が作ったトンネルに近づくといきなり、

グシャッ! 

「あ、こわしちゃった!」

「オマエ、なにするんだよ、ボクのトンネル」

せっかく作ったトンネルを突然理由もなく壊されて相手も本気で怒っています。

ケンカが始まりました。

でも鉄兵はどうしてケンカになったのか分っていないようです。

同世代の子どもと接したことがないからです。

相手にやられていやだと思うことを経験しないと、相手が何をされるといやがるか、を覚えないのです。

子どもは子どもどうしで遊ばないと学べないことがたくさんあるのです。


ケンカは治まりましたが、もう一つ、公園で気軽に友だちを作って遊べない理由がありました。

何年間も社会と離れた牧場で暮らしていた私には知らないことがあったのです。

都会の公園では幼児の意図しない大人の人間関係がすでにできあがっていたのでした。


気がつくと、遊具で遊ぶ子どもたちを遠巻きに見ながら、ベンチでおしゃべりをしているオシャレなママさんたちは、いくつかの固まりになって女子学生のような会話をしています。

隣り合ってベンチに腰掛けていても、グループがちがえば話しかけることもしません。

子どもたちもお母さんのグループの子どうしで遊んでいるようです。

ここでやっと思い出しました。



まだ公園で鉄兵を遊ばせる前、同じ年頃の子を持つ東京の友人が聞いてきたのです。

「鉄兵クンは〝公園デビュー〟は無事にすみましたか?」

そのときは意味がわかりませんでした。

そう言えば、雑誌か何かで読んだような気がする。

民放のおもしろいワイドショーも見られない石垣ですからそういう情報にも疎かったのでした。

「そうか、これが公園グループ、公園デビューというものか」

グループに入れなかったママの子どもは遊ぶ友だちがいないということでしょうか。

もし途中で仲たがいなどしてグループからはずれてしまったら、その親子はどうなっちゃうんでしょう。

特にお母さんがその公園に行くのが気まずくなっちゃいますね。

そんな想像をしながら、話す相手もない私は、砂場で一人遊ぶ鉄兵の姿をボンヤリ眺めていました。

すぐ隣の私よりひとまわり以上も若いお母さんたちのグループは、カタログショッピングの話などをして笑っています。

アイドルのようなカワイイ甲高い声ですが、おっとりとした話し方です。

笑い声も地声より1オクターブ高い声じゃないかと思えます。


夕方、陽が落ちる直前になると、さっきのグループの一団がベビーカーを押して子どもたちを連れて、ぞろぞろと公園の隣のファストフードの店に入って行きました。

公園の親子たちは次々と帰って行き、ついに誰もいなくなった公園に鉄兵と私だけが残されました。

でもそんなことを気にするようすもない鉄兵は、滑り台、ブランコを一人で自由に使い放題に使って楽しそうに暗くなるまで遊んでいました。

牧場に戻ってからは家の周りの大きな木にロープをぶら下げて手製のブランコを作ってやりました。

相変わらず鉄兵は一人で空想の世界に入ってブツブツ独り言を言いながら遊んでいます。



ひ弱な野生児 その8につづく


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ひ弱な野生児 その8 牛のお産じゃないよ



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  →ひ弱な野生児 その7からつづく


クワの木を相手に遊んでいた鉄兵が2歳の時に二度目の妊娠がわかりました。

今度は不妊治療も何もしないのに自然に子どもが授かったのです。

二度目というのは何でも予測がつくから精神的に楽です。

一つ予想していなかったのはひどいつわりでした。

一人目はつわりがなく、何でもパクパク食べていましたから、初めての経験でした。

ご飯も味噌汁もジュースも口にできなくて、ほとんど水だけ飲んで生きていました。

お腹がどんどん大きくなっていくのに体重は減っていったのでした。

お腹だけが大きくふくらんで身体の他の部分はガリガリにやせているという異様な姿でした。

それでも胎児は順調に大きく育っているというから不思議です。

もう一つは第二子は逆子だったことです。


今回の出産は計画的に予定しての帝王切開をすることにしました。

予定日を一ヶ月前にして飛行機に乗っての里帰り出産です。


飛行機の席は一人分です。

三歳未満の子は大人の同伴なら無料。

ただし座席に余裕がある時以外は大人の膝上に抱っこが原則です。

出発の日、あいにくと、石垣―羽田直行便は満席でした。

臨月近くの大きなお腹で二歳の子を膝に抱く。

それだけでも苦しいのですが、直行便の機体はジャンボではなく、大体が座席数200席以下の小さい飛行機です。

座席もジャンボ機に比べると小さく、前後の間隔も狭いのです。

妊婦の膝に鉄兵を載せるともう前の席の背もたれまでいっぱいです。

離陸の時は短い滑走路の石垣空港のことですから、急上昇で加速するのです。

すごいGがかかってきます。

子どもの体重も何十㎏にも感じます。

ようやく水平飛行になりました。

「ああ、重かった。ふう、楽になった」

と思うのも束の間、シートベルト着用のサインが消えると、今度は前の席の人がリクライニングしてきたのです。

「ひえー、もっと狭くなる~」

ますます苦しくなりました。

持っていたチケットを床に落としてしまいましたが拾えません。

お腹が苦しくてかがむどころではありません。

乗ったときに

「どの絵本がいいですか?」

と機内備え付けの子ども用絵本を貸してくれましたが、とても開ける状態ではありません。


当時はこの便にはサンドウィッチなどの軽食サービスがありました。

小さな箱の軽食が配られると、前の人はさらにリクライニングしてきました。

「ゲ、ゲゲゲー、うそでしょう」

ゲゲゲの鬼太郎の歌みたいに唸ってしまいました。

背もたれに付いている小さなテーブルを出すにはそうしないと窮屈だからでしょう。

前の人はきっと太った人なのでしょう。

苦しさはピークに達します。

その私にも軽食と紙コップ入りのジュースが配られました。

「こちらのお子様にもどうぞ」

と、にこやかなフライトアテンダントがもう一組の軽食セットをくれました。

にこやかな笑顔で返してお礼を言って受け取ったものの、テーブルを出せるわけがありません。

両手にジュースの紙コップ二つ、お弁当の箱二つを持って、どうやって鉄兵に食べさせたらいいのか、と途方にくれていました。

子どもには無関心そうに見えた隣の席の若い女性は、それまで読んでいた雑誌を閉じて

「ここ、使ってもいいですよ」

とテーブルを半分貸してくれました。

「あ、ありがとうございます」

子連れの里帰り出産もけっこうたいへんなものです。



出産間近になると逆子は正常な位置に治っていました。

飛行機の中で苦しい姿勢をしていたことと関係があるかどうかはわかりませんが。

エコーでみるとそうらしいです。

エコーで胎児の性別もわかります。

最近はコンピューターを使った3Dの画像で、顔などもそうとう実物に近い絵が見られるようです。

でもこの当時はなんだかよくわからないX線写真程度の解析度でした。

性別は妊産婦向けの雑誌を見て、

「典型的な女の子の胎児のエコーの画像」

というのとそっくりな画像が見えていたので第二子は女の子と確信していました。

その時、

「これが顔の部分です」

と言って見せられた画像がちょっと気になっていました。

昔観たことのあるSF映画に出てきたタコ宇宙人の顔に似ているように見えたのです。

宇宙人とも見えるし、古谷三敏の描くマンガに出てくる「ダメおやじ」や「タコ坊」に似ているように思えてしまうのです。

もっとも、そのエコーを見せられたのは妊娠6ヶ月くらいのときでしたから、まだ胎児の顔も完全ではなかったのかも知れません。

なにしろ今と比較すると当時は精度の高くないエコーの画像でしたからあてにはなりません。


「宇宙人みたいな赤ちゃんが産まれて来たらどうしよう」

「いや、そんなはずはないわね、一人目がカワイイ顔だったもの」

「鉄兵はお父さん似なのにカワイイわ。女の子で私に似ていたらもっとカワイイはず」

などと希望的観測を持つようにしていました。


二度目の出産は予定通りの計画帝王切開です。

おかげでカウボーイ父さんも今度は親子で立ち会うことができました。


・・・親子で?

そうです。鉄兵にも妹が産まれてくるところを見せるというのです。

帝王切開なのに?

「先生、ぼくたち手術室に入って見ていてもいいですか?」

「悪くはないですけど、平気ですか?帝王切開の立会い出産なんてあまりないけどねえ。まして子どもだし」

「だいじょうぶです。牛の帝王切開は手伝ったことがあります。この子もそういうのは家畜で慣れてます」

(あらら、ここは牧場じゃないですよ。私も牛じゃないし。)


   →ひ弱な野生児 その9につづく


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ひ弱な野生児 その9 宇宙人の出産



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ひ弱な野生児 その8からつづく

鉄兵を肩車して手術室に入ってきたカウボーイ父さん、今回は事前にきれいなポロシャツに着替えさせました。

ホームレスに間違われるような恰好で出産に立ち会ってもらっては困ります。

前日にはお風呂も入ってもらいました。

 心配そうに見守る2歳の鉄兵。

今後の牛の手術の参考にしようと冷静に見つめる父さん。

 新生児は体調50cmくらいはあります。

でもお腹を50cmも切るわけではありません。

わずか10cm程度に切った所から赤ちゃんの頭が出るのです。

患者の負担を考えて、切り口はなるべく小さくします。

そこから引っ張り出すわけですから赤ちゃんが大き目だった場合、相当苦労します。

モニョモニょと引っ張り出す感じです。

ますますもってエイリアンが出てくるような気がして来ました。

ついに産まれてきたのは、今までに見たことのない『8本足で鋭いクチバシを持った恐ろしいエイリアンの姿をした怪物の赤ちゃん』だった・・・・・・・・・・わけはないです。

かわいい女の赤ちゃんでした。

安心。

父さん、用意していたカメラで産まれたばかりの長女と獣医さん・・・じゃなくてお医者さんの写真をパチパチ。 

「はい、じゃあ、あとは縫合だけですからお父さんたちはあちらでお待ちください」

と見物、じゃなくて見学の親子は出されてしまいました。

「ちぇ、縫う所を一番見たかったのになあ」

家畜ではなく人間の身体の傷を細やかに縫う技術を、観察して覚えたかったのだそうです。

 
長女の名前は出産の二日前に決まりました。

「きりん」です。

それまでは季節や花にちなんだ女の子らしい名前をいろいろ考えていたのですが。

ちょうど実家にあった中学時代のアルバムの私の写真を見た父さん、

「なんと華奢で可憐な女の子だ!」

という印象だったらしいです。

(母親に似て背の高いスラリとした女の子になあれ)

という願いをこめて、この名前が出てきたのです。

中学時代の私は背が高いわりに痩せて手足がひょろりと長い、キリンのような体型でした。

「きりんという名はどうだい?」

「キリンねえ・・・」

あさってに産まれる予定の大きなお腹の私は突然言われた動物の名前に、なんと返事をしたものか考えていました。

「そんなにアフリカが好きなのね」
 
協力隊でタイに派遣されましたが、本人は派遣国はアフリカのどこかの国を希望していたようです。

「ライオンとかカバとかいう名前よりはいいだろう」

あくまでアフリカ。

「そうねえ、それもそうだわ」

昔の人は丈夫に育つようにという願いからでしょうか、「トラ」とか「クマ」とかいう名を女の子に付けたわけです。

「かりん」という名前の人もいるし、外国では「コリン」という人もいます。

キリンでもおかしくない気がしてきました。

「うん、きりん、・・・いいかも」

あっさり決まってしまいました。

でも周囲からは絶賛の声はあまりなかったですが。


妹「きりん」にとっては、産まれたときからお兄ちゃんがいるわけです。

これでお互いに遊び相手ができて、子どもが他にいない牧場でももうさびしくない・・・と思うのは単純過ぎます。

産まれ立ての赤ちゃんはただ泣いておっぱいを飲んで寝ているだけです。

きょうだいでいっしょに遊べるようになるまで、まだあと2、3年は待たないといけません。

それどころか、産まれてきた赤ちゃんにお母さんを取られたと思って鉄兵は以前にもましておもしろくなさそうでした。

牧場に帰っても、相変わらず、室内で授乳やおむつ替えをする私のそばでジグソーパズル、絵本、アニメのビデオなどで遊ぶ毎日でした。


暑くない季節や曇りの日は、外に出て虫取りでもすれば楽しい場所に住んでいるのです。

でも彼はそういうことに興味がなかったのです。

むしろ生き物は怖い存在だったようです。

牧場には牛のほかに馬もいました。

さらに、カウボーイ父さんの個人的な趣味で、ヤギ、イノシシ、アヒル、ニワトリも飼っていました。

そのどれにも近づこうとしません。

「男の子なのにだらしがないな、ホラ、これをつかんでみろ」

父さんに無理やりバッタを持たされました。

怖さで顔は引きつり、震えながらバッタを持つ手をギューッと握り締めていました。

しばらくして見ると、手の中のバッタは強く握りつぶされてペシャンコになっていました。

たくさんの動物や虫たちに囲まれた牧場の生活は、男の子なら誰でも喜ぶというわけではなかったのです。


ひ弱な野生児 その10 につづく

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ひ弱な野生児 その10



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ひ弱な野生児 その9から続く


「ボク、トモダチほしい」

ついに鉄兵が泣きながら訴えてきました。

無理もありません。

同じ年頃の男の子と遊ぶのはせいぜい年に二回くらい。

親戚か知り合いの家に遊びに入ったとき、その家の子と遊ぶ時だけでした。



牧場のある辺りは野鳥の宝庫です。

カウボーイの「野鳥さん」は毎朝、毎夕のバードウォッチングがとても楽しそうです。

いい所に就職できたみたいです。

この島にだけしか棲んでいない種類の小動物もいます。

沖縄だけに生息する珍しいカエル、ヘビ、ホタル、セミ・・・。

野生のイチゴ、グァバも生えています。

アウトドア派なら大喜びの場所なのですが、興味がなければ仕方がありません。

それでも涼しい日を選んできりんをベビーカーに乗せて牧場内をお散歩に連れ出します。

室内で遊んでいた鉄兵も遊びをやめてついて来ます。

「ボクもおしてあげる」

いっしょにベビーカーを押して歩きます。

でも、家の周りはデコボコの石ころだらけの地面です。

舗装道路で使うことを前提として作られたベビーカーの車輪はこんな道には不向きです。

ガガガガガガタガタガタガタ・・・。

はげしく上下に震動しながらベビーカーは進んで行きますが、これって赤ちゃんの脳みそに影響ないんでしょうか。

同じきょうだいでも、きりんの方は本やパズルより外で遊ぶ方が好きなようです。

生き物も好きなようで、歩き始めるころになると、虫やカエルも素手でつかんで遊んでいました。

暑さにも強いようで夏の暑い日でも涼しい顔して外で遊んでいました。

こうなると鉄兵もつられて外に出てきます。

屋上にビニールプールを置いてホールで水を入れて、二人で仲良く水遊び。

プールの上は例のクワの木が茂って大きな日陰を作っていました。

ひとりぼっちだった鉄兵がようやく妹と遊べるようになりました。

それでもまだ2歳10ヶ月の歳の差は大きいです。

対等に遊べるわけでもなく、遊びも限られていました。


そうこうしているうちに、鉄兵4歳、きりん2歳になりました。

そこでトモダチのほしくなる年頃の鉄兵が、

「トモダチがほしい」

と言い出したわけです。


数年前に、この地区にも車で10分ほどの所に公立保育所ができました。

両親とも職に就いている事が入所の条件ですが、私も牧場の仕事を手伝うので、農家と同じように入所が認められるのです。

さっそく入所の申し込みをして面接に行きました。


「ホイクショでトモダチとあそべるんだ」

と喜んでいた鉄兵ですが問題がありました。

就寝、起床の時間帯がよその子と大きくずれたままなのでした。

夜中の2時、3時はまだいい方、ときには明るくなるまで起きて騒いでいます。

当然、起きるのは昼過ぎか夕方という昼夜逆転生活が、生まれてからずっと続いていたのです。

そう簡単には切り替えられません。


「先生、うちの子は夜更かしの癖があって、朝は早起きができないんです」

「保育所は何時に始まるというものではないですが、10時や11時に来ていたのではすぐお昼ご飯の時間になってしまいますからねえ。規則正しい生活に早く慣れるようにしてくださいね」


「・・・・と、言われたわよ」

保育士さんの言うことは常識的な意見です。

カウボーイ父さん、自分も極端な夜型人間なので、不満そうです。

「規則正しく・・って、今でも毎日規則正しく夜中は起きて昼間寝ているじゃないか」

ううん、それって規則正しいって言えるのかな。

でもまあ、トモダチと遊びたい一心で朝起きて保育所に通いました。


今まで人がいない、空気のいい無菌状態のような場所で育ってきたので、保育所に行くようになると途端に風邪など引くようになりました。

免疫ができてないのでしょう。

大草原のカウボーイの子どもはバイキンには弱かったのでした。

これも鍛え方が足りないということになるのでしょうか。


「ボク、ホイクショ、いきたくない」

1ヶ月もするとそう言い出しました。

「何がいやなの?いじめられるの?」

「ちがう」

よくよく話を聞いてみると、昼食の後のお昼寝タイムが嫌いらしいのです。

保育所に行くまでは昼間は寝ていましたが、それは夜中じゅう起きていたからです。

初めから昼寝の習慣がなかったのです。

眠くもないのに静かに1時間も寝ていなければならないのが苦痛ということなのです。

「眠れなければ、静かに本でも読んで一人で遊んでいてもいいんですよ。他のお子さんのお昼寝の邪魔にさえならなければ」

一人で静かに遊ぶのは今までさんざん家でやってきています。

そのこともあってか、どうしても昼寝の時間がガマンできず、保育所への不登校が起きてしまいました。

結局3ヶ月間で保育所を中退することになってしまいました。


「そうか、ダメだったか」

「仕方ないわね、どうしても保育所に預けないと仕事に出られないというわけでもないし。もともとは鉄兵が保育所に行きたいと言い出したから入れたんだもの」

「オレもさあ、小さい時に保育所を中退したんだ」

「へえ」

「やっぱり昼寝の時間があってね」

「うん」

「オレは寝たくないから」

「うん、うん」

「寝ている他の子たちの上をドサドサと踏んで歩いて、」

「ええっ?!」

「それで保育所はクビになった」

「まあ!」

「あはははは、だって寝たくもないのに寝ろって言うんだもん」


う―ん、親子で共通しているような、いないような・・・。

遭難アドベンチャー につづく


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