赤ちゃん礼賛 その1

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キャンプへGO その1
→アイ ハブ ア ハブ その 13からつづく
ここまで読んでいて気が付かれたと思いますが・・・。
キャンプ“家族”と言いながら家族は私たち夫婦しか登場していません。
そうです、まだ子どもができないのです。
テッちゃんがハブに咬まれた時で、すでに結婚7年目でした。
「また今月もダメだった・・・。」
「そうか・・・」
子ども大好きの夫は結婚する前から子どもが欲しくて、名前まで決めていたのです。
それに比べて私は、というと、
まあ、そんなに急がなくても自然に任せれば・・・と、のんびりしていました。
出生率減少問題は別として、夫婦の間に子どもが何人いるか、いないか、は全くプライベートな話です。
他人がとやかく言う話でもないと思うんですけど。
でも「孫が欲しい」という夫の両親の率直な希望もプレッシャーに感じてしまいます。
別に直接いやみを言われたわけではないのですが。
「〇〇さんの家に赤ちゃん産まれたんですって」
「××のところも二人目だって」
(〇〇さんも××もずうっと年下の後輩です)
赤ちゃん誕生のカードや写真付き年賀状が届く度に
“よかったね”
という感情から、
“いいなあ”
という羨望に変わり、そのうちに
“クッソー、なんでうちにはコウノトリが来ない!”
という妬みというか焦りに変わっていくのです。
結婚後4年経ったころから地元の産科クリニックで検査していましたが、不妊の原因ははっきりわかりませんでした。
それでも基礎体温表は記録しておきなさいと言われ、毎朝目が覚めると婦人体温計を口にくわえるところから一日が始まるのでした。
キャンプ中も例外ではなく水銀体温計をリュックに入れて行きました。
険しい山道を歩くたびに揺られ、開けてみると体温計の水銀柱はバラバラに途切れてしまっていたこともありました。
人工授精、漢方薬、ホルモン注射、といろいろな治療をしていました。
数年過ぎても効果がなく、私は確実に高齢出産の年になっていました。
産婦人科のお医者さんは、
「おかしいですねえ、ご主人の方にも問題があるかも知れませんね」
「そうですか?」
「ご主人にも漢方薬を出しておきますから飲んでもらってください」
帰宅して伝えると、
「そんなバカな!オレはどこも悪くないぞ!」
とご立腹。
「でもそんなこと調べないとわからないでしょ」
「わかるっ!!」
「なんでそんなこと言えるの?」
「大学時代に研究室の顕微鏡で確かめたんだ。」
夫は大学院で畜産の、特に家畜繁殖学の研究をしていたのでした。
羊の精子を観察するはずの顕微鏡で何を見てたんでしょう。
「顕微鏡を覗いたら、何億匹ものオレ様が元気に泳ぎ回って
いるのを確認したんだ。
絶対にオレには欠点はないっ!!」
孫悟空のように何億人もの分身の夫のバックコーラスにそう言われれば、従うしかありません。
「ええいっ!もうそこの病院はダメだ。大都会の不妊専門の大きな病院に行って来いっ!」
横浜の私の母に頼んで、実家近くの産婦人科に聞いてみてもらいました。
その先生の恩師という方が、都内で有名な不妊治療の権威のお医者様だったのです。
紹介状をもらって東京の病院へ検査と治療に行くことになりました。
「時間がかかっても、しっかり診てもらって来いよ。」
「わかりました、行ってきます」
重要な任務を仰せつかった三蔵法師の旅立ちのように責任重大に感じて出発です。
→赤ちゃん礼賛 その2につづく
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