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キャンプへ GO その1





198×年のある夏の日…


「オイ、キャンプ行くぞ」

「ど、どこに?」

「西表」

「イリオモテ?」

夫が私をキャンプに誘うのは初めてではありません。

前回いっしょに行ったのは5年前の新婚旅行。

西表島近くの無人島に12日間のキャンプをしたのが私たちの新婚旅行でした。
そのときは米と調味料とわずかな野菜だけ持参。

あとは魚や貝を獲って食べて過ごした原始人ごっこ。

途中で食料が乏しくなって二人で無人島から西表本島の売店まで
泳いで買い物に行ったり、森の中でイノシシを獲って担いで帰ったり。

新婚旅行での野生的体験は、都会育ちの私にとって楽しいというより
カルチュアショックが大きくて、大変なキャンプだったのです。




「キャンプ、私は行かなくてもいいんだけどなあ…」

「ダメだよ、いっしょに行くの!」

「えええ、西表って…また無人島?」

「いや、西表島を横断する」

「ジャングルの中を?」

「そう、3泊か4泊」

「登山道を歩くわけじゃないよねえ」

「当然だろ、川沿いに上って、滝を越えて、時には岩を登って…」

なんか、楽しそうというより、無事に帰って来られるでしょうか。不安。

「キャンプの日はもう決めたの?」

「うん、イトマンが来るだろう?いっしょにキャンプしようよ、って電話で誘ったらOKだってさ」

イトマンというのは夫より少しだけ若い男性のニックネーム。沖縄県の糸満市の人だから、私たちはそう呼んでいます。

昔、夫がまだ信州の大学の学生だった頃、西表の海岸のキャンプ場に長い間いたことがあって、イトマンとはそのときに知り合ったのでした。

それ以来しばらく音信途絶えていたが、ひょんなことから再会し、沖縄本島にいる「イトマン」と、この石垣島に暮らす私たちと交流が復活しました。




「イトマン、キャンプを楽しみにしてるって」

数週間後、いよいよイトマンが来島。

その夜は久々に会えた友と自宅で宴会。

食べて飲んで、落ち着いたら翌日出発のキャンプの用意。

各自の荷物の分担、イトマンが持参した物と我々の物が重複しないか点検。

「イトマン、どんな物持ってきたの?」

イトマンの持ってきた荷物の中身を見て、あ、こりゃマズイ、と思いました。
どうもイトマンとこちら側とでは「キャンプ」の概念がちがうようです。

イトマンの荷物・・・海水浴用のバスタオル、焼肉のタレ、フライ返し、冷凍トウモロコシ、酒のつまみのイカ…

私たちの荷物・・・登山用ザイル、ナタ、地下足袋、コンパス…

このキャンプ、イトマン だいじょうぶかなあ。→ 次回につづく


 ここで まえがき

   話の途中で前書きというのもおかしいんですが、
   前書きは面白くないから読みたくない方のために
   第1話からスタートすることにしました。
   読まない場合は「キャンプへ GO その2」
   続いて読んでください。

  ・・・まえがき・・・

少女時代、やってみたいことがたくさんありました。

たとえば、

①無人島でキャンプ

②南の島で暮らす

③教師になる

④外国で生活する

⑤世界で一番辛い料理を食べる

⑥熱帯果樹に囲まれて果物を食べ放題

⑦ジャングルツアー

⑧作家になる

⑨プール付きの豪邸に住む


と、いろいろありました。


①~⑦は経験できました。

⑧と⑨はまだ、と言うか、どう考えても

⑨は一生実現しそうにもありません。


現在の状態は 「②南の島で暮らす」です。

ここで今までに経験したことを多少脚色して

ブログ小説にしてみたいと思います。  → 次回につづく


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キャンプへGO その2






前回よりつづき→

イトマンと私たちとで「キャンプ」の言葉のイメージがかけ離れているのはムリもありません。

沖縄では普通、砂浜のピクニックのようなことを指して「キャンプ」と言います。
家族、親戚、職場の人など大勢が集まり、車で海岸近くまで乗りつけるのです。
鉄板焼きの道具や氷と飲み物の入った大きなクーラーボックスを浜まで運びます。

テントも設置。日除けのためですから、ファスナーで完全に閉められる山用のでなく、運動会のような風通しのよいテントです。

バーベキューなどして夜まで食べて飲んで、ときにはカラオケセット持参で騒いで。

暗くなっても発電機と電球を持ってくれば明るい。
まだまだにぎやかに過ごせます。

ビーチパーティとも言いますが、ちょっとしたお祭りのようです。

小さい子や老人連れでも、歩くのが苦手な人でも楽しめるし、都合によって遅れてきたり、早く帰るのもアリです。
泊まるときはテントの下でゴロ寝。
だいたいキャンプは暖かい季節にするので寝袋に入る必要もないのです。タオルケット1枚あったら充分。

イトマンに電話で話したとき、夫は
「キャンプに行こう」
とだけ言って、詳細を伝えてなかったようです。
あるいは敢えて言わなかったのかも。

キャンプに参加してから、そう思いました。
あの行程を聞いたらイトマンも参加を遠慮したでしょう。

何となく不安感を残したままキャンプ出発の朝を迎えます。

参加者は、大柄なイトマンと私たち夫婦、うちの牧場に夏の間だけ手伝いに来ていた夫の親戚の女の子ミイちゃん(仮名)、牧場の牛の治療によく来てくれて懇意になっている若い獣医のO先生、隣の牧場に住み込みで働いている力持ちのKさん。計6人。

(言い忘れていましたが私たちは石垣島の広大な牧場で働いています。
大きな牧場のオーナーです……と言うのはウソで、住み込みで働くカウボーイとその妻です。
カウボーイの生活の話はまたの機会にするとして、キャンプの続きです。)

食料、食器、テントなどの荷物を参加者で分担してリュックに詰めます。
みんな大きな荷物になりました。でも、新婚旅行のときはこれに海で使う足ヒレ、水中眼鏡、シュノーケル、の3点セットと魚を獲るモリや網まであったのですから、それに比べればずっとましです。

翌朝、いつもよりだいぶ早く目が覚めると天気は快晴。
昨日イトマンが来る前に大雨が降って、キャンプの天気が危ぶまれていたのがウソのよう。
ところが、この前日に降った大雨が西表でとんだ災難に遭うことになるのですが、このときは少なくとも私は何も気づきませんでした。
深く考えずに牧場から石垣港に向けて出発。

荷物と人間を載せると軽乗用車ではあふれてしまうので、こういうときは牧場の3tトラックを借ります。
トラックの助手席には2人しか乗れませんからあとの人は荷物といっしょに荷台に乗ります。
本当はトラックの荷台は荷物運搬の補助のために1名しか乗れないことになっているらしいのですが、田舎ではよく荷台に何人も乗って走っています。
港から帰りの運転は牧場で留守番してくれる従業員の一人、シマヤさん。

シマヤさんも山登りやキャンプは得意ですが、牛の世話があるので今回は牧場に残ってくれます。
どんな時も生き物のいる牧場は無人にはできません。

トラックの荷台は、走ると夏の朝の風を受けて気持ちのいいものです。
これから始まるキャンプに、みんないい大人ですが遠足や運動会の朝の子どものような表情になっています。
数時間後に悲惨なことが起こることになるイトマンもこのときは予想もできずニコニコしています。

港のある石垣島の中心地に近づくと交番の前を通らなければなりません。

「伏せろっ!」

交番が近づくと、往きは運転席にいるリーダー役の夫が窓から顔を出して号令をかけます。
普段からその交番に警官は不在のことが多いのですが、念のため、荷台の人は隠れるのです。
荷台の横の縁に当たる部分、高さわずか30センチの板の陰に隠れます。
かがんだだけでは身体が隠れません。
荷台の床に腹ばいか仰向けになって身体を厚さ30センチ以下にするのです。

まあ、見つかっても逮捕されるほどではないでしょうが、時間を食って西表に行く船に乗り遅れると困ります。

交番を通り過ぎて安全地帯に来ると、また運転席から

「オーイ、もういいぞー」

警報解除になってみんな起き上がります。
港はもうすぐそこでした。

牧場から空いた道路を30分ほど走ってきて石垣港に到着。
ここから西表行きの定期船に乗ります。
西表島には定期船の発着する港が3港あります。
今日はそのうち島の北側にある船浦港に向かいます。

船の甲板にみんなの重いリュックをバケツリレーのように運びこんで、最後に人間が乗船。
私たちは居心地のよい奥の船室に入ります。
ここはクーラーが効いて夏でも涼しくて気持ちよく過ごせます。
西表まで高速船でも1時間。
今日これから始まろうとする強行スケジュールに備えて、しばし休息。昨夜も遅くまで準備し、今朝も早起きして居眠りするには船のエンジンの振動も役立っています。

西表の港に到着。
石垣のように人や車でごった返した雰囲気はなく、船から降りる人たちと迎えの軽トラックが来ている以外は自然のまま、深い緑の香りがします。

さすが島の8割以上がジャングルの西表島。


道なき道を行くキャンプはまだ入り口に着いたばかりです。
                      →その3につづく
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キャンプへ GO その3





 
その2からつづく

今朝、石垣の牧場を出発した時は、服装は山歩きでも、ほとんどの人がぞうり履きのままでした。
まだまだ乗り物で移動し、本格的登山の開始までは時間があるからです。

「まだ靴は履き替えなくていいの?」
キャンプリーダーの夫に一応聞いてみます。

「まだいいよ、今から白浜までバスに乗るんだから」

夫は西表キャンプは慣れているし、高校、大学と山岳部。

高校のときは山岳でインターハイ出場、大学のときは長○県の国立信○大学山岳部出身というツワモノ。
キャンプの時は彼の意見は重視されます。

今回のキャンプ参加者のうちほとんどが素人みたいなものです。

牧場に泊まりこみでいたミイちゃんは野外活動には興味がある娘ですが実際の経験は少ないし、
「イトマン」さんはキャンプというのを勘違いしてるみたいだし、力持ちのKさんは秋田の田舎育ちで山は得意なようですが、雪国の山と亜熱帯のジャングルとでは勝手がちがうでしょう。
私はというと、都会育ちで結婚するまでこういう経験はなかったし、獣医のO先生は元体操部で身軽そうですが、東京育ち、数年前に東京の大学を出たばかりだからジャングルには慣れているとは思えません。

「ここから歩くんじゃなかったか」

もともとキャンプに乗り気でなかった私は計画の詳細にもあまり興味がありませんでした。
早く言えば他人任せ。

西表島の船浦港に到着しても、ここからすぐ歩き出すわけではありません。
定期船会社が運営するマイクロバスに乗って、集落まで、あるいは途中の好きな所で降ろしてもらえます。
バス代は無料。

今日はここから30分ほどの距離にある白浜港という所まで行きます。
白浜にも石垣から来る船はありますが、石垣―白浜を結ぶ定期船は本数も少なく、時間帯も限られているので、今日は船浦港までの定期船に乗って、そこからバスで陸路ということにしました。

白浜も船浦よりさらに小さく静かな港です。
バスから降りた観光客や地元の人たちが集落の方に歩いて行ってしまうとほとんど人が居なくなります。
港に昔からある1軒の売店と、そこにサンダル履きで歩いてアイスキャンデーを買いに来る子どもの姿を見ると近くに村があることを感じさせてくれます。

ここでみんな一度重いリュックを下ろし、しばし休憩。

「オーイ、トイレ行きたいヤツ、ここでしておけよ」

夫はそういうと、自分はリュックから財布を出してテレホンカードを持って公衆電話に向かいました。

ここから近くで船を持っている人に電話をして迎えに来てもらいます。

ボートをチャーターして川を遡り、これからのジャングルツアーの歩き出しの地点まで送ってもらうのです。

「すぐ来てくれるってよ」

ここで靴に履き替える人もいましたが、リーダーはまだぞうりのまま。
ここはベテランの真似をしておくか。

数分待って到着した小さなボートににもつを載せて人間も乗るとほとんどいっぱいになりました。
しばらく海岸に沿って進み、マングローブの茂みが続くと河口です。
西表の川はどれもマングローブがあって大自然そのものという感じです。

「アマゾンのジャングルに来たみたいだね」
「アマゾン行ったことあるのか?」
「いや、ないけどさ、フフフ」
「ふふん」
いつもは強面の夫もうれしそうに鼻歌です。
キャンプにいるときが一番生き生きしているように思えます。

ボートは川に入るとガクンとギアを落としゆっくり進みました。
上流に行くに従い、川幅はだんだん狭くなっていき、両側のオヒルギ、メヒルギなどのマングローブがボートの近くまで来ています。
水深もそれに連れて浅くなっているはずです。川の水は茶色なので川底は見えませんが、船長は地元の川を知り尽くしているのでしょう。右に左に見えない川底の岩を避けるように進んで行きます。

ボートのスピードはさらにゆっくりになって行きます。
最後にはエンジンを切って惰性で進みます。
川面の水がボートの側面にチャプンと当たる音、船長が操る長い木の棒がボートの縁にゴゴンと当たる音以外は、マングローブの向こうのジャングルからの音、というか気配です。

ここは日本なのでしょうか……


ここまで来るとキャンプに興味のない人でもドキドキしてきます。

キャンプ勘違いのイトマンさんも顔が輝いて見えます。
きっとワクワクしているのでしょう。

数時間後に彼に訪れる不運をまだ誰も知りません。

周囲のジャングルの木々の葉も一昨日の大雨できれいに洗われて光っているようです。


                   →その4につづく
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キャンプへ GO その4






その3からつづく

ボートはさらに上流へ向かい、さらに川幅は狭くなっていきました。
船長は長い棒状の櫂を器用に操って、座礁しないように注意深く、ゆっくりゆっくり進んでいきます。

おかげで私たちは両側の景色をじっくり眺めることができました。

カンボジアの奥地かアマゾンの上流にでもいるのではないか、という錯覚に陥ります。


「もうここで精一杯だな」

これ以上ボートは進めないという所まで来て、船長はボートの進みを止めました。

料金を払って荷物を背負ってボートを降りると、船長はまた器用にUターンして戻って行きました。

上陸して数m歩くと、6人全員が荷物を降ろせる場所がありました。
あらためて身支度の点検です。
ぞうり履きの人は靴に履き替え、重いリュックを身体にピッタリくるようにベルト調節します。

ミイちゃんと私は女子ということで軽い荷物にしてもらいました。

「うちのカアチャンは体力がないから空身でも付いてくるのがやっとだろうな」
助かった。重い荷物持ちは苦手なんです。

ミイちゃんは体力はありますが、大きいリュックというのがありませんでした。
前日に私の持っていたもう一つのリュックを貸してあげましたが、それも小さいので荷物がたくさん入りません。
入りきらない食料などは獣医のO先生のリュックに入れてもらいました。

イトマンにしても、キャンプはビーチパーティのことだと思っていましたから、当然大きいリュックなんて持ってきていません。
うちに余っているリュックといえば夫が学生時代に先輩から受け継いだという年代物の横長の物。
昔は登山用リュックは今のようなスマートな縦長のものとちがって、左右に大きなポケットが張り出して付いていました。後ろから見ると甲羅を背負ったカニのようです。
これで旅行する若者たちは列車に乗ると、狭い通路を横向きになって進んでいくので、「カニ族」と呼ばれていました。

「イトマンは、身体が大きいからこれでいいだろう」
と軽い気持ちで渡したのですが、帆布のような地の厚い古いリュックは大柄のイトマンでも歩きにくそうです。

「足元は特にしっかり固めておけよ、ヒルがいるぞ」
リーダーの声かけでみんな靴下を引っ張り上げて肌を露出しないようにしています。

「さあ、いくぞーっ」

リーダーを先頭に一列で歩き出します。と言っても登山道があるわけではありません。
川の中をザブザブと歩いて進みます。ボートが入れないというだけあって水深はそれほどではないのですが、2日前の大雨で増水して川は結構な水量です。


寒がりで濡れるのを嫌うO先生は川岸の木伝いに川の水に触れないように歩いています。
身の軽い元体操部のO先生、ちょっと遅れ気味。

「O先生はヤギだなあ」

そうです、ヤギは身体が濡れるのを極端にいやがる習性があります。
ちょっと雨が降っても「メェー、メェー」とうるさいのです。

私の荷物は空の軽いコッヘル(キャンプ用アルミの鍋)くらいしか入っていませんが、それでも重い。
山道を歩くより泳ぐ方がラク。
夏の亜熱帯の西表、元水泳部の私は水の中を泳いだ方が速いくらいです。
思い切ってリュックを背負ったまま川に入って泳ぎだしました。

リュックの中の濡れて困る衣類などは大きなビニール袋を何重にも包んであります。袋の口はしっかり縛って水に浸かっても大丈夫なはず。

川から岩が顔を出している場所は、岩から岩へと飛び移っていかれますが、滑らないように気をつけて行くので、とても猿飛佐助のようにはいきません。

中学の頃、学校を抜け出して裏山へ遊びに行ったという野生児の育ちのリーダーはこんな道は楽勝でしょう。


走るより泳ぐのが得意な私は、魚になったように気持ちよく川を泳いで上っていきました。ここはまだ下流の方で、上流では川が牙を剥くとはこの時には思いもしませんでした。

一行はそれぞれ、猿になったり、ヤギになったり、魚になったりして上流へと進んでいきます。

道なき道を行くキャンプはまだ始まったばかりです。

この先 どんな楽しいことや困ったことが起きるのか、不安でもあり楽しみでもあり、ドキドキキャンプです。
                      →その5 につづく

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キャンプへ GO その5






     →その4からつづく
しばらく川の中を進むと川の片側に歩くスペースが見えてきました。
今まで岩だらけの渓流を遡るという感じだったのが、傾斜がゆるやかになり、景色がパッと開けた広い所に出ました。別の支流との分岐点なのでしょうか、急に川幅が広くなっています。

水深は浅く、膝くらいまでしかないのですが、水量がすごい。
つまり川の水が高速でドヮーッと一度に大量に流れてくるという感じでしょうか。
目指している方向はこの川の向こう側。

「ん、?ん!ここを渡るのォ?!」

「それしかないな、……待ってろ、ロープ張るから」

リュックから登山用のザイルを出したリーダーは、リュックを置いて、ザイルだけを持ってジャブジャブと川の中を歩き始めました。
ザイルのもう一方の端は手前の川岸の太い木の幹に結び付けておきます。

渡りきったリーダーは向こう岸の木にザイルを結びつけると、

「よーし、ロープにつかまってゆっくり渡って来ーい!!」

流れの音に消されないように大声で呼んでいます。
わが夫ながらこういう時は頼もしく見えます。

川の流れはゴォゴォと速く、見ていると目が回りそうです。
なかなか第一歩が出ません。
心の準備が必要です。

子どもの頃に大勢でやった縄跳びを思い出します。
目の前で回転する長縄とびを目で追い、タイミングを取るのに戸惑って、入れないでいたあの頃。

O先生ももうヤギではいられません。

向こうからリーダーが自分のリュックの所に戻ってきます。

「オレはロープを回収しながら最後に行くから、みんな先に行ってくれ」

リーダーの声に押されてジャブジャブと水に入り始めました。

浅い所はくるぶし程度の水深。それでも速い流れに足元をすくわれそうになります。

「落ち着いて、ゆっくり。」

自分に言い聞かせます。

深い所は膝を越える水深。

これは危険。

流されます。

浅い所を探して歩かないといけません。

うっかり深みにはまって膝より上の水深に立ったりよろけたりしたら下流まで流されていくかも知れません。

靴で川底の状態を探りながら一歩一歩進んでいるとき、

バシャン!!

少し離れた所で、流れに足を取られて転んだ人がいました。

ミイちゃんです。

川の中の大きな岩にしがみついていますが、下半身はは流れに浮いて、空を泳ぐコイノボリのように水平になって流れにもまれています。

岩から手を離した瞬間にミイちゃんは流されてしまう!
助けに行きたくても自分の身の確保で精一杯。

と、ミイちゃんの一番近くにいたO先生が手を伸ばし、助けてどうにか立ち上がりました。
ミイちゃん、立てばふくらはぎ位の水深。
またゆっくり歩き始めました。

もうすぐ向こう岸に着くという頃、すぐ後ろで、

バッシャーン

大きな動物が飛び込んだような音。

…?…??…!!

「イトマン!!」

横に長い大きなリュックを背負わされたイトマンは、バランスをくずして前のめりに転倒。
今度はしがみつく岩もありません。

「タイヘンだ、イトマンが流される!」

イトマン、身長180cm以上体重も90kgくらいあるでしょうか、身体が大きいから流されないというわけではありません。
イトマンは流れる川の底に必死でしがみつこうとしています。

そばにいた私と力持ちでイケメンのKさんが近寄って手を伸ばしました。

Kさんがイトマンの右手を、私が左手をつかんで引っ張りました。

イトマンは両腕の自由を奪われ左右に引っ張られているので、顔が水に浸かってうつ伏せになってしまいました。

「イトマン、だいじょうぶか?!イトマンっ」

イトマンはザバッと顔だけを上げ息継ぎをしました。

「プハーッ」

「だいじょうぶか」

「うんうん」

よかった。救助の私たちは安心して二人同時に手を放してしまいました。
途端にイトマンはまた流されてしまいました。

「わ!、やばい、また流された」

間抜けな救助隊です。

                         →その6につづく


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キャンプへ GO その6





 →その5からつづく

つかんでいた手を二人が同時に放したので流されたイトマン、すぐにそばの岩にしがみつきました。
慌ててまたそばに寄って行く救助員のつもりの私たち二人。
イトマンの両腕をまた同時につかみました。
またまたイトマンは引っ張りだこにされてうつ伏せになってしまいました。

「イトマン、しっかりしろ、おい、イトマン」

「プハァッ」

顔を上げて息をしたのでまた安心して支えていた手を放してしまいました。
つかまっていた腕をいきなり放されて、イトマンはまたまた溺れそうになっています。

「イトマンッ!」

「ゴボゴボゴボ」

後ろの方からリーダーの夫が声をかけてきます。

「おい、両腕を同時につかまれていたら、イトマンも立てないだろう」

「あ、そうか」

「そうでした、そうでした」

間抜けな救助の二人も、ここでやっと気付いて片方ずつ支えてイトマンは立ち上がることができました。

今回は失敗しましたが、何を隠そう、この私、数年前に日本赤十字社の救急員の資格を取ったのでした。
1週間講習に通って、止血法や三角巾で数十秒で各部位に包帯する技術などを習得したのです。

(これは勉強になりました。自分と同じくらいの体重の人が床に倒れているのを自分の背中に載せてオンブして走るやり方とか習得できてよかったです。)

せっかく取得した救急員の資格ですが、キャンプでとっさには役に立てませんでした。
もっとも大きなリュックを背負って急流の川に流された人の救助というのは習いませんでしたけど。

イトマンはゆっくり立ち上がると、周りを見回して突然叫びました。

「わっ、メガネがない!!」

さっきまでイトマンがかけていた近視用の銀縁メガネが、優秀な日赤救急員たちによる救助の間に流されてしまったのです。

気の毒に、出発してまだ数時間しか経っていないのに、イトマンは 0,1もない視力であと3日間、ジャングルのキャンプを続けることになったのです。

濁流の川を遡っていくと少し流れが緩やかになってきました。
きれいな浅瀬が続き、鳥の声が聞こえます。
木漏れ日の下、実に気分よく歩けます。

ふと、イトマンが心配になり振り替えると、強度の近視なのにメガネを失くしたために足元をじっと見ながら転ばないように下ばかり見て歩いています。
景色を見る余裕はありません。
もっともメガネがないので景色も見えないでしょうけど。

自分もイトマンに負けず劣らすの強度の近視なのでイトマンの気持ちがよくわかります。

陽の当たる浅瀬をしばらく歩いていると、行く手に滝の音がします。
近づけばそれほど大きくはないけど、この滝を直登しなければ先へ進めません。

「もしかして、この滝を登るのォ?」

「ほかにどうやって行くって言うんだよ、崖を迂回して行くか?」

それも難儀そうだ。

結局全員が滝のシャワーを浴びながらフリークライミングすることになりました。

「まったく……何で、いつも……こうなっちゃうの…ブツブツブツ…」

文句は滝の音に消されていました。

滝を登り終わるとまた静かな浅瀬が続きました。

と思うのも束の間、浅瀬の後はまた滝です。

「ハァッ、また滝……」

一行の中で元気なのがキャンプ大好き、生きがい、というリーダーの夫。


と、もう一人アウトドアと冒険が大好きのミイちゃん。
彼女も元体操部、身軽に滝の岩をスイスイと登って行きます。

いくつか滝を越えて歩きやすい場所になってきました。
川の両側が林になって緑におおわれたきれいな場所です。

「みんな、ここでちょっと休憩しよう」

朝から歩き始めて、今まで滝の所で5分くらい水飲み休憩はありましたが、荷物を下ろして腰を落ち着けての長い休憩はこれが初めてです。

みんなの顔にも疲れが見えてきています。
特にイトマン、気のせいか意気消沈しているような…。
古い大きなカーキ色のキャンバス地のリュック、山の中で地面に腰を下ろしてうつむいている所など、楽しいキャンプの最中というより、知らない人が見たら、逃避行の引揚者のように見えなくもない。

焼肉に冷たいビールの、るんるんビーチパーティ

のはずがこんなことになるなんて石垣空港に着いたときには思いもしなかったでしょう。

もしかすると、(来なきゃよかった)と思っているのかも…。



「ちょっと、他に近くにキャンプできるいい所がないか見てくるわ」

リュックを下ろすとリーダーは早足で川に沿って上流に向かいました。

数分後、戻ると、

「ようし、今日はもうここでキャンプすることにしよう」

道なき道を行くキャンプですから、一般的な登山道を行くキャンプとちがってちゃんとした設備付きのキャンプ場などというのはありません。
午後の早いうちに適当な場所を探してテントを張り、夕食の支度をします。
食事とその片付けも明るいうちに済ませたいからです。

もう昼はとうに過ぎていましたが、夕方までにはまだまだ時間があります。
ここはイトマンのことを思って早めに本日の終点としたのでしょう。

テントの用意ができると、ほとんどの人は上流にウナギの仕掛けをしに出かけました。
針にエサをかけてウナギを釣るのです。
夕方仕掛けて翌朝ウナギがかかっているか見ます。

ご飯炊きを買って出た私と、メガネのないイトマンはキャンプ地に残りました。


イトマン、本当に憔悴し切った様子です。
荷物を下ろしたその場所のまま座り込んでじっとしています。
声をかけるのもはばかられる感じ。

長い1日でした。
それでも日が暮れるまでまだまだ時間があります。

キャンプはさらに続くのです。
              
その7 へつづく

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キャンプへ GO その7

  →その6からつづく

「荷物置いたら薪集めて来いよ」

テントを張ると、次は手分けして薪集めです。

川岸には2日前の豪雨で流れ着いた木切れがたくさんありますが、湿っていて簡単には火が着きそうにありません。
杉や松の葉やアダンの枯れ葉の乾いたのを探して着火材にします。
焚き火の周りに大きめの石を探してきて数個置いて、カマドのできあがり。

川の近くで炊事すると水を汲むにも、米を洗うのにも食器を洗うのにも便利です。
米と水の分量は目で見て大体の目分量。
これもキャンプの回数重ねるうちに会得した一つの技術ですね。

薪でご飯を炊くときは、最初からどんどん火を燃やします。

(昔から言われていた 『はじめチョロチョロ 中ぱっぱ……』 と言うのとはちがいますね。)

沸騰してきたら少し火を弱め、ブクブクいわなくなったらさらに薪を抜いて火を弱めます。

ほとんど炎のない状態のカマドの余熱で炊き続けます。

シュゥシュゥと蒸気が小さくなっておこげの匂いがしてきたらカマドから下ろして地面の上に置きます。
10分蒸らしたらできあがり。

ご飯を蒸らしている間に先に寝床の準備。

テントは雨が降った場合に備えての荷物のための物。

夏の亜熱帯のジャングルは蒸し暑くてテントの中では快適には寝られません。

「ここに寝るの?湿ってるじゃない。」

地面が乾いた草の上のようになっていればその上にシートを敷いて寝ればいいのですが、雨の後や水辺のようにしたがグチョグチョに濡れているときはそうはいきません。


「木の枝を折って寝場所に集めろ」

「何するの?」

「寝床にするんだよ」

「へええ」

「ゴリラは毎日木の枝や木の葉を集めてその日の寝床を作るんだよ」

木の葉ならまだしも、木の枝?

いやいや、木の枝と言っても小枝、木の先の方です。
梢の部分は集めて敷き詰めるとしなやかにたわんでフカフカのクッションのようです。
ちょっとチクチクしますが、この上にウレタンマットや寝袋を置けば最高の森のベッドになりました。

ゴリラはこういうベッドに寝ていたのか。
なんでゴリラのベッドの作り方に詳しいのでしょう。

夫はゴリラと友達だったのか。

風通しの悪いテントの中よりずっと気持ちのよいゴリラのベッドです。
夜が待ち遠しいですね。

味噌汁の準備をしていると、リーダー、

「味噌汁するんなら川エビ獲ってきたから入れてくれよ」

川にはテナガエビという淡水の食用のエビがたくさんいます。

普通は網で苦労して取るのですが、前人未到に近いようなこんな山奥のエビは人馴れしていないから、水に手足を突っ込んでも逃げません。
逆に寄って来るくらいです。

ご飯粒をえさに使うまでもなくどんどんすくえます。
エビを丸ごとお湯に入れて、エビの味噌汁完成。

「ソーセージ炒めか、じゃあ、これも入れて」

またリーダーが出してきたのは、いつの間に採ってきたのか数本のオオタニワタリの芽。

オオタニワタリはシダの仲間で、木の幹の二股に枝分かれした所に生えています。

成長した物は観葉植物としてよく喫茶店などに置いてあります。
若い芽は珍味として高級中華料理の食材になるのです。


「ジャングルにも食べる物はあるのねえ」

「遭難しても生き延びられますね」

「オレは原始時代に生まれてくるべきだったなあ」

リーダーはゴリラでなく原始人だったのでした。


第一日目の夕食は、米を炊いて缶詰やソーセージなどを使った簡単なおかず。

これに新鮮な川エビとオオタニワタリが加わって、豪華な自然食メニューになりました。

一日中歩いて疲れていたこともあって森の中の夕食はみんなご馳走に感じて食べました。

暗くなる前に、まだ濡れている服を着替えたいと思っても、男子があちこちに居て困ります。


「ミイちゃん、着替えどこでする?」

「私もさっきからウロウロしてたんですよ」

結局二人でテントから少し離れた所に行き、交代で目隠しカーテンを持ってやることになりました。

カーテンに使っている布は青年海外協力隊でタイに居たときに買って来た物です。

更紗模様の木綿の布ですが1枚あると、敷物にも、スカートにも風呂敷にもなるので、旅行やキャンプには便利です。

(これも言い忘れていましたが、夫とは協力隊でタイに行っていた時に知り合って、その縁で結婚したのでした。この話はまた後日いたします。)


脱いだ服も川でザブザブと洗濯してそこら辺の木の枝に干しておけば明日には乾いているでしょう。

夜になると焚き火の周辺以外は真っ暗で何も見えません。
川の水音がかろうじて方角を感じさせてくれます。

森の奥で鳴くフクロウやカエルの声がますますジャングルにいるのだと思わせてくれます。

ここはどこだろう、沖縄県の西表島。

それはわかっていますがアマゾンともニューギニアとも、アフリカ奥地とも言われてもそう思えます。

チラとイトマンを見ましたが、暗くて表情までは見えませんでした。

まあ、ニコニコはしていないとは思いますが。

明日はさらに上流へ進む予定です。

山を越えて西表島を縦断する計画でしたから、まだ三分の一も進んでいません。


明日もまた滝を登るんだろうか…。


考える間もなくゴリラのベッドに沈み込んで眠ってしまいました。

          →その8につづく

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キャンプへ GO その8

   →その7からつづく

森の中で朝を迎えるのはいいものです。
鳥の声や朝の緑の香りのする風で目覚める。

前日が長い長いタイヘンな一日だったからなおさらです。

もう火を起こしている人が居る。

リーダーである夫です。
キャンプというと起こされなくとも早く目が覚めてテキパキとしかも活き活きと働くのです。
よほどキャンプが性に合っているのでしょう。
朝からお湯を沸かしてせっせとお茶の用意をなさっていらっしゃる。

目が覚めた人からお茶を飲んでいます。
この後、数人ずつ組になって昨日仕掛けたエサにウナギがかかっているか見に行きました。

朝食作りの私とイトマンは炊事場にいます。

今日も長い距離を歩くことになるのでしょう。
その前にしっかり腹ごしらえです。

ご飯が炊けて朝食の準備ができるころちょうどウナギを見に行った人たちも帰ってきました。
ウナギは掛かっていませんでした。
あまり期待もしていませんでしたが。

朝ごはんは昨日に引き続いて川エビの味噌汁に、持参したおかず。

川エビは二度目でエビに警戒されたのか昨日ほどは獲れませんが6人分の味噌汁には充分です。

ご飯をよそって味噌汁注いで、おかずは……と、


おかずは持参した容器にに入っています。

持っているのはO先生。

ミイちゃんの小さいリュックには入りきらないのでO先生の登山用リュックに入れてもらっていたのでした。

「O先生、食料出してください」

「いいよ、重かったよ、これ、何が入ってたの」

「すいませんねえ、みんなの食べるおかずなんで」


重いタッパーを受け取り、ふたを開けて、鍋の周りに丸く集まって腰を下ろしたメンバーの真ん中にドンと置きます。

大きな弁当箱のような半透明のプラスティックの密閉容器に目一杯詰めてある茶色のつぶつぶの物体。

「な、なに、コレ・・・?」

O先生、今まで自分がここまで運んできた物の中身を知りませんでした。

「納豆ですけど」

「な、な、ナ、ナットー??!!」

「そうですよ、納豆、常温でも一日くらいなら腐らないんですよ」

「ボクは納豆、大嫌いですっ!」

「ええっ、そうなんですか、知らなかったなあ」

「でも、O先生東京の人でしょ、東京人は納豆食べるでしょう」


関西の人は納豆を食べる習慣がなく、嫌いな人が多いと聞いていたけど、関東人はだいたい食べると思っていたのでこれは予想外でした。


「納豆なんて下町の食べ物ですっ!」

そうか、そうかな、そうなのかな。

O先生は東京の山の手の出身なのか。


「まあ、そう言わずに食べましょうよ」

「いいですよっ、匂いもいやですっ」

納豆の嫌いな人はそばで匂いがするのもいやなものです。

とにかく、O先生は自分が食べられない物を持たされ、野超え山超え川を越えてここまで運んで来たわけです。
お気の毒。

みんなパクパクと納豆をおかずにおいしそうにご飯を食べていますが、O先生食べる物がありません。

味噌汁と、昆布の佃煮で食べているようです。

何パックもの納豆を中身だけにして密閉容器に詰め替えて盛ってきたのですが、昨日から体力を使ってお腹の空いたメンバーによって、容器の中の納豆はすべて食べ尽くされました。

まあ、少なくともこれからは納豆の入れ物を持たなくてよくなったし、荷物が軽くなってよかったですね、O先生。

昨日干しておいた洗濯物も乾いていました。

テントを撤収して荷物を持って一晩だけのキャンプ地を後にします。
ゴリラのベッドにもサヨウナラです。


川に沿って歩き始めてじきにまた滝。
この先滝をいくつ越えるのでしょう。

私は荷物が軽い空の鍋なのでそれだけでも助かります。

滝を登って歩き続けているうちに気のせいかだんだん荷物が重くなってくる気がします。

疲れてきたからでしょうか。

「ああ、重い」

ん?もしかして……

リュックの中の着替えや寝袋はビニール袋に何重にも包んであるので水を吸って重くなることは考えられません。

でも、……・

リュックを倒すと中からザアッと大量の水がこぼれ出てきます。

リュックを開けると空の鍋に水が溜まっていました。

衣類は無事でした。

それからは滝を登りながら時々リュックを背負ったまま前にお辞儀をして、リュックを逆さにして中の水を出して軽くしました。

何時間も登ってもまだまだ上流があります。

西表の山は深い。

昼はゆっくり食事を作る時間がもったいないのでちょっと平らな場所を見つけて、朝の残りのご飯を食べます。

じっくり食べるのは夕食のときの楽しみに。


夕方はまた川エビをたくさん獲るぞー。

              →その9につづく

  
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キャンプへGO その9


  →その8からつづく

キャンプまだ二日目です。

流の岩を登ったり、楽な浅瀬と思ったらその先には必ず滝、の繰り返しです。
昨日よりは水量も減り、上流ということもあって、昨日の様に濁流に流されることはありません。

上流では、川の水が少なくなって伏水になっている所があります。

「伏水」とは、水の流れが地表に出ず、地下を通っていることです。
もっと上流に行くとまた地面の上に流れが現れることもあります。

しばらく水のない地面を歩いていくと水が表面に現れました。

「わ、また滝……」

というか、崖。

滝の水は上流だし、雨が上がって二日も経っているので水量は少ないのですが、垂直より角度のついた、いわゆるオーバーハングの崖。


「これを登るの?…ムリ!」

「直接登るとは言ってないよ」

リーダーの見る方を目で追って、滝の横は、と見ると、オーバーハングではないものの、ここもほとんど垂直の崖。

「あれを登って、回り込んで滝の上の平らな所に出るんだ」

「はあ……」

イトマンの顔を見ると崖を見上げて無表情でいます。
声も出ません。

今さら帰らせてもらいます、と言ってもメガネなしだし、一人では西表の船着場まで戻れません。
私もそうですが、生きて戻るにはみんなに付いて行くしかないのです。

「まずオレが偵察して来るからな」

猿飛リーダーはスルスルと崖を登り、あっという間にオーバーハングの滝の平らな岩の上に着いて顔を出しました。

「ようし、ここで荷物を受け取れるな」

すぐまた下りて来たリーダーの案内で、滝の下の岩場の地面にみんなまとめて荷物を置くと、空身で登り始めることにしました。

「Kさんは荷物を上げてから最後に来てくれな」

「わかりました」

秋田出身の力持ちで若いKさん、頼りになります。

迎えに来たリーダーが踏む足の同じ跡にそのままそっくり足を載せないと歩く所がありません。
前の人の足をよく見てその足跡の通りに歩きます

垂直の崖でも木が生えていて、その枝をつかみ、張り出した根っこに足をかけて行けばゆっくり進むことができます。

一番こわい所は垂直より明らかに角度が大きい壁。
下を見るとゾオーッとします。
本当は私は高い所は大の苦手なのに。

足を載せた木の根はすでに空中に浮いています。
私のすぐ前を行くイトマン、よく見えないのに不安はないのでしょうか、尊敬します。

どうにか滝の上の平らな岩に着きました。

大きく張り出したオーバーハングの岩の上から恐る恐る下を覗き込むと、下でKさんが立っています。

上からザイルを下ろし、荷物を一つ一つ結んで、順番に滝の上に引っ張り上げます。

最後の荷物を上げてザイルを回収したら、Kさんが登って来てこれで全員上がりました。

また川に沿って歩き出してからイトマンに話しかけます。

「今の崖、怖かったね。木の根の下は何もなくて宙に浮いてたよね」

「へ?ボク、何も見えませんでした」

見えてなくてよかったのかも。


午後はキャンプができそうな場所をリーダーが目で探しながら歩きます。

私たちは、…少なくとも私はそんな余裕はなくただ遅れないようについて行くだけです。

夕方、陽が傾くころ、

「ようし、休憩」

時間的にいってここでキャンプでしょうか。

「近くにもっといいキャンプ地があるか見てくる」

またリーダーの偵察です。

キャンプにいい場所だと思ってテントを張っても、すぐ先にもっといい場所が、しかもすぐそばに存在した、ということもあるので、斥候は必要なのです。


「いい、いい、ここでいい」

近くにキャンプにふさわしい場所はなかったようです。

テントを張るとすぐ今夜の食糧、川エビの採集です。
昨日と場所が変わり、またまた人間馴れしていないエビたち、川に手を入れると寄って来ます。

大きいのから獲り放題。


この日はエビのオンパレード。


『エビの炊き込みご飯』

『エビの味噌汁』

『エビのから揚げ』


食事が済んでもまだ薄明るいので、川で身体を洗うことにしました。

汗をかいたのに、二日もシャワーに入っていないのでサッパリしたくなります。
夏だから川の水浴びがちょうどいいです。


私も髪の毛洗いたかったんですよ」

とミイちゃん。

小さいリュックからシャンプー、リンス、ヘアブラシを取り出しました。

「ええっ、ミイちゃん、シャンプーってそんなに大きいの持ってきたの?」

「だって小さい容器がなかったんですよ」

シャンプーもリンスも中身は少ないのですが、浴室にあった大きな容器のままを持ってきています。

ヘアブラシも長い柄の付いた大き目の物。

このやり取りをそばで聞いていたO先生、

「ミイちゃん!!、あの重い納豆をボクに持たせて、何を持って来たかと思ったら……!!」

「すいませーん。携帯用のがなかったんですー」

ますます気の毒なO先生。


キャンプ二日目が暮れていきます。

  →その10につづく




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キャンプへ GO その10


   →その9からつづく

二日目のキャンプ地は昨日より地面は乾いて、「ゴリラのベッド」を作らなくても充分快適に眠れそうです。

少し傾斜して水平になっていないことが気にならなければですが。

川で水浴びしてサッパリしてなおさら熟睡できそうです。


「O先生も川で洗いませんか、シャンプーもリンスもまだ残っていますよ」

「いいです!」

都会育ちのO先生は自分のリンスを持って来ているのでしょうか。


焚き火の周りには酒を注いだコップを持って何人かが炎を眺めながらチビチビとやっています。

酒を飲まない私は輪に入ってもお茶しか飲む物がありませんが、オレンジの火を見ていると不思議と心が落ち着くものです。

原始時代はこうして一日の終わりを焚き火の周りで迎えて火のそばで寝たのでしょう。

この場ではリーダーだけでなく全員が原始人の気持ちです。

みんな火を見つめて、静かに何を思っているのでしょう。


酒が回った人も、そうでない人も、一人、また一人と自分の確保した、木下の寝床に行きます。

斜面の地面はビニールシートを敷いて寝てもやっぱり傾いています。

頭を高い方に向けて寝ますが、今度は左右どちらかが低くてそちらに身体が寄ってしまいます。

夜中に寝返り打ったはずみに何かに頭が当たって目を覚ますと、だいぶ離れて寝ていたはずのミイちゃんの顔が目の前にあってビックリ。

ズリズリとまた身体をずらして高い方に移動します。

どんな所でも雨さえ降らなければ寝られるものです。


三日目の朝が来ました。

身体の節々が痛く、腕や足が筋肉痛です。

焚き火の炎はとっくに消えて燃え残りばかりですが、まだかすかに灰が温かい所を見ると、最後の人、おそらくリーダーは夜遅くまで火の番をしていたんでしょう。


昨夜のエビの味噌汁を温めて、朝食を済ませるとまた撤収。

もうだいぶ山の上、標高の高い場所にいるはずです。
沢歩きより、かわいた山道が続きます。

川を登り詰めている間は一本道、ただひたすら沢を上がればよかったのですが、乾いた林の中では木に囲まれて方角がわからなくなってしまいました。

本当に私たちは帰れるんでしょうか。

地図を見ても今居る所の目印がなければ意味がありません。

登山道があるわけでなく、上へ上へと歩きやすい所を探して道なき道を登っていきます。

高い丘の上に出ました。

どうもここら辺が一番高い場所のようです。


島に渡って初めにボートで入った川は、島の北に流れ込むナカラ川という川でした。

その川筋を登って来て頂上辺りに来たということは、現在地も見当が付きます。

予定ではその後、そこから南東に流れるナカマ川の上流に出て、また川に沿って下りれば島の反対側のナカマ川の河口に出ます。
そこからは石垣へ行く船の出る港も近いはず。


「ここがこの辺では一番高いと思うんだけどな」

そこは確かに丘か山の頂のようで、下りて行く道はあっても、上に登る道はありません。

ここに来るまで深い林の中を歩き、時には茂みを掻き分けて通って来ました。
高い所なら見晴らしがよく、海岸線も見えて方向がわかると思ったのです。

しかしそこもまた高い木に囲まれて景色が見えません。

「何も見えないじゃん」

「誰か一番高そうな木に登ってそこから見るしかないな」

「ボクが行きます」

と、東京都出身、元体操部のO先生、スルスルと近くの高い一本の木に取り付いて器用に登り始めました。

あれよ、あれよ、と見ているうちにテッペンまで登り詰めてしまいました。
キャンプの一行にもう一人の猿飛佐助がいたのでした。

寒がりで、濡れるのが嫌いな「ヤギ」で、納豆が食べられないO先生。

誰にでも特技はあるものです。

いえ、O先生はもうすでに獣医師という立派な資格を持っていたのでした。

木の上で周囲を見回したヤギ先生、じゃなくてO先生、

「あ、わかった、港はこの方角だ、定期船が走ってる」

やっと目指す帰りの方向がわかりました。
O先生、ありがとう。

方向がわかれば、あとはただその方に山を下りるだけです。

道はなくとも下に下りていけば必ず水が流れる所に出ます。

その水をたどって行けば川に出てあとは下流の港に着けます。


キャンプも後半になりました。

ほどなく小さな川があり、小さな滝を下りることになりました。

上がって来るときにいくつもの滝を登って来た、ということは、別のルートにしてもまた滝や川を下りて行く覚悟をしなければならないということです。

滝を下りるのは登るのと同じくらい気を使います。
でも落ちても下は川、それほど怖がる必要もないのかも。

と思っているうちに苔でヌルヌルした岩に足を載せて滑って、落ちるようにして下りていました。

「エーイ、もうこうなったら破れかぶれだわ」

落ちるのも下りるのもこのくらいの高さの滝ならたいした違いはないと思い、濡れた岩をプールの滑り台のようにお尻で滑って下りて行きました。

「ああ、ラクチン」

リュックを背負っているから滑りすぎて背中から落ちてもリュックがクッションになってくれて痛くありません。


このまま下っていけば今日中にも下山できそうにも思えましたが、なかなかそうはいきません。

午前中に降りる方向を探して時間がかかったためか、まだだいぶ上流の方で夕方になってしまいした。

日が暮れる前にキャンプできる場所を探さなければなりません。

ナカマ川の本流に来ていることは間違いないと思えます。


川の両側は岩場ばかりでキャンプできそうな場所がなかなか見つかりません。

川に別の支流が流れ込んでいる所に来ました。

「ちょっとここで待っててくれ、この川の上の方に行って見て来る」

荷物を置いてまたリーダーの斥候です。



しばらくして、

「あった、あった、この上に行こう」

リーダーの言うことを信用してみんなついて行きます。

リーダーの見つけてきたキャンプ地は昨日よりさらに急な傾斜地で下がじめじめと湿っています。

川のすぐそばは水に濡れているし、岩ばかりなのである程度の広さを確保すると、川から数十m離れた所になってしまいます。

「ええっ?!ここでキャンプ?」

「もう仕方ないよ、これ以上は進めない」

確かにもう薄暗くなってきています。

早くテント設営、水汲み、寝床の準備、と仕事をしないと真っ暗になってしまいます。

またゴリラのベッド作りです。

今夜は多めに木の枝、木の葉を敷き詰めないと下から湿気が上がってきてしまいます。

とても快適なキャンプ場所とは言えませんが、文句を言っている場合ではありません。

この大量の木の枝のベッドに寝たおかげで、あとでエライ目に遭うのですが、それがわかるのはキャンプが終わって家に帰ってからです。
イトマンはそのことに気付いたのは私たちよりさらに数日後だったのでした。

                   その11につづく→

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キャンプへ GO その11


   →その10 からつづく

ミイちゃんと私、いつもなら夕飯のおかずに川エビを獲るのですが、

今日は川からだいぶ上の方に上がってテントを張ったので、エビが獲れるほどの水の流れからは程遠くなってしまいました。

それにもう辺りは薄暗くなって来ています。

急いで炊事に必要な水を汲まなければなりません。

湿った土や岩の上を気を付けて水のある場所まで下りていきます。

急斜面の岩に張り付いてチョロチョロ流れる水をペットボトルやコッヘルに受けて何とか必要な水を確保しました。
そのままそこで米も洗います。

この間にもウナギ釣りの好きなリーダー、ウナギの居そうな所まで下りていって仕掛けに行きます。

「何でわざわざ支流に入り込んで、こんなジメジメした地面の、しかも水辺から遠い場所まで来てキャンプ地を決めたかと思ったら、そういうことか」

「そう、ウナギが居そうな川を見つけたから」


水を汲んでテントの所まで戻るともう暗くてライト無しでは見えません。
ヘッドランプを頭に巻いてその灯りで炊事します。

食事の時もちろん全員ヘッドランプや懐中電灯の光で自分の皿を照らしながら食べます。

キャンプ最後の夜なので持ってきた食材をほとんど全部使って混ぜて作った炒め物と、残っていたスープの素も全部使って汁を作ります。

食事が済んでも食器洗いはもうできません。

真っ暗だし、食器を洗えるくらいの水の流れる川までは遠いのです。

洗い物は明日の朝に回して、食べたら休憩。

ゴリラのベッドを何人もが作るともうほとんど場所がありません。

残るはぬかるみのように濡れた地面だけ。

「オレが寝る場所は、と・・・。ここか、いいや、こういう時こそこれが役に立つんだ」

リーダーが出してきたのはハンモック。二本の丈夫な木にハンモックの端の紐を結び付けて、

これなら地面がどんなにビショビショでも、デコボコでも大丈夫。

「そういえば昨日もそれで寝てたよね、揺れるのによく眠れるわねえ」

「慣れれば寝られるさ。体の下を風が吹き抜けて涼しいんだ」

ハンモックとゴリラのベッドのおかげで湿ったキャンプ場でもなんとかみんな眠れました。


四日目、今日は夕方の最終便の船が出るまでには、どうしても港に着いていなければなりません。

翌日はイトマンが飛行機で沖縄本島に帰ることになっていたからです。

炊いたご飯の残りと梅干、塩などを小さな食品用のビニール袋に詰めて行動食にして、出発です。

また滝を下り、川をザブザブと下って行きます。

食糧も減り、荷物も軽くなって、私は調子に乗って、苔の生えたヌルヌルした岩の上を、
流れる水といっしょに流されるようにリュックごと滑り降りて行きました。

「わーい、流れるプールだあ、気持ちい―い!」

時々はリュックを傾けて、空のコッヘルに溜まった水を捨てないと重くなって行きましたが。


午後にはようやく大きい川に出ました。川幅は広く、緩やかにゆっくり流れています。

増水していた川の水は、山で三泊していた間に、すっかり引いていました。

それでも河口が近いのか水深は背の立たない部分がほとんどです。

たまに足が着いても川床は軟らかい赤土のドロドロなので足がめり込んで歩けません。

川の両側は水から生えたマングローブでおおわれていて、ここも歩くことはできません。

どこまでも続くように見える川を泳いで下るしかないのです。


「おーい、みんな泳げるよなあ」

幸い、カナヅチの人はいませんでした。

川を泳いで、というより、浮いて流されて下流に向かいました。

リュックは空気が入っていて意外と水に浮きました。
浮き輪を着けたようにみんなプカプカと浮かんで、一丸となって流されて行きました。

「どこまで流れるんだろうね」

「川の終わりまでさ」

「海まで行くの?」

「その前に港があるでしょ」

「全員が流れているけどさ、……」

「うん」

「これって、外から見てる人がいたらおかしいだろうね」

「ハハハ、いないだろうけど」

いえ、この姿見られることになるのです。大勢の人に。


     →その12に つづく

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キャンプへ GO その12

 その11 からつづく

何時間川を流れていたでしょうか。
みんなリュックを浮き輪代わりにしたり、キャンプで寝る時に使う、発泡ウレタンのマットにビート板のようにつかまったり、いろいろ工夫して疲れないように浮いていました。

私も、流木につかまって浮いてみましたが、これはあまり浮力がなくてかえってじゃまなので手放しました。
滝登りよりは力も要らないし楽は楽ですが、それでも何時間も水に浮いているのは腰が痛くなります。
まあ、海で遭難した人のことを思えば、流されていればいつかは目的地に着くし安心です。
確実に下流に進んでいるのですから。
ワニやカバに襲われる心配もないですし。

と思ったら、

「あれ、なんかあまり進んでない気がする」

「なんだか、ただ浮いているみたい」

「流れ、止まってない?」

そうです、川幅が広く傾斜の緩やかな川は、河口に近づくとだんだん流れが遅くなり、ほとんど止まっているように見えました。

もしかすると潮も関係しているのかも知れません。
海の近くなると、満潮時には海水が川の方に逆流して来るくらい高低差のない河口です。

今回は山のキャンプで、海は関係ないと思い、潮の満ち干は気にしていませんでした。
これではますます到着地まで時間がかかってしまいます。


「おいおい、定期船の最終に間に合わないぞ」

「急げーっ」

「速く進めえー」

ウレタンマットを持った人はバタ足を始めました。

今までは手足を動かすよりは何もしないで川の流れに身を任せた方が抵抗なく進んでいましたが、ほとんど動かない水の中では人間が泳いだ方が速いのです。

バシャバシャやっていると数分で疲れてしまいます。
時々足が着かないか、と身体を起こしてみますがもちろん背が立たず、また泳ぎだします。

港まではまだまだ遠く、船に間に合うんでしょうか。

「あれ、あそこ、水の色が違う」

「あ、島だ」

「わあ、上陸できる」

川の中に中州が現れました。

やっと陸上で休憩できます。リュックは水を吸って重くなっていましたし、陸上では浮力がなくなった分、足が地面に着いて立つと身体が重く感じます。

それでも人間は陸棲の動物です。楽になった感じがします。

ここでリュックを下ろし、中の水を捨てて軽食タイムです。
手も足もふやけてシワシワになっていました。
出発してから初めての長い休憩ですが、最終便の時刻が迫っているのでゆっくりはできません。

「さあ、またがんばろう」

河口を目指して泳ぎだし、数十分すると川岸に木製の古い桟橋が現れました。
もう何年も使われていないようです。昔はこの岸近くにも家があって生活していたのでしょう。

人が住まなくなって何年経つのか、桟橋のすぐ上はジャングルのようです。
この桟橋に上がって休憩したかったし、できれば古い村の跡も見てみたかったですが、今はそんな時間はありません。

桟橋を横目で見ながら河口に向かって真っ直ぐに泳いで行きます。

すると、遠くからエンジン音が・・・。

「船だ!」

「こっちに来る!」

川を遡って近づく船が見えます。私たちを迎えに来てくれたのでしょうか。
そんなはずはありません。

観光客に川のマングローブを見せるための遊覧船です。ちょうど港を出て川を遡って来る途中、私たちが下って来るのに偶然出会ったのでした。

何でもいいからうれしいのです。

「ワーイ!乗せて―――っ」

みんなで手を振って大声で呼びました。船に気付いてもらおうと思って。
いえ、そんなにしなくても船長は気付きます。

船がすぐそばに来ると、デッキにいた観光客達はいっせいにこちらを見ています。

そりゃ、驚いたことでしょう。原始の南国ムード漂うマングローブの川を遊覧していたら、上流からリュックを背負った人間が何人も固まって泳いできたのですから。

カバが泳いでいた方がまだ驚かなかったかも知れません。

観光客たちが集まって船の片側に寄って、珍しそうにこちらを眺めています。
船が人の重さで傾かないか心配です。

船がすぐ横を通り過ぎる所まで来ました。船長の顔もはっきり見えます。

「乗せてくださーい」

「アンタたち、そこで何してるの?」

こういう場合、何と答えたらよいのでしょう。

          →その13につづく




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キャンプへ GO その13


        →その12からつづく
何時間も川を泳いで、と言うか、流されて下って来た私たちにとって、この遊覧船はまさに渡りに船ででした。
船長は、リュックを背負って川に浮いている私たち6人のキャンプの一行を見ても、それほど驚いたようでもありませんでした。少なくとも遊覧船の乗客よりは。

もしかすると、今までこういうことをするキャンパーに時々出会ってきたんでしょうか。

「このすぐ上の船着場で待ってな、帰りに乗せてあげるよ」

「やったー!助かったあ!」

もう泳がなくてもすむ。 

歩くより泳ぐ方が好きな元水泳部の私でも、もうこれ以上泳ぐのはたくさんでした。
他の人たちももちろん大喜びです。

すぐ上の船着場というのはさっき私たちが横目で見て通った古い桟橋です。期せずして桟橋上陸となりました。

もと来た道、じゃなくて川を、また泳いで戻り、よじ登るようにして桟橋に上がります。

靴や靴下を脱いでサンダルに履き替えて遊覧船が戻ってくるのを待ちます。

「ちょっと上がってみるか」

遊覧船が上流の方へ行って観光客にマングローブなどを見せてから、戻って来るまでだいぶ時間があります。
上陸して桟橋に続く川沿いの林の奥に入って見ることにしました。
ジャングルと言うよりは昔ここで人が生活していたことを匂わせる土地でした。

「誰かが植えたんだろうね、シークヮーサーがあるよ」

「あ、実が成ってる」

「食べてみよう」

シークヮーサーと呼ばれる柑橘類(和名は「ヒラミレモン」)の木が何本も植えられてあって、主のないまま成長を続け、実がいくつか成っています。何年も手入れがされていないと見えて雑木に囲まれています。

「わあ、スッパイ」
「ほんとにシークヮーサーだ」

かつては人が歩いた道だったと思われるところを進んで行くと、林の奥に屋敷の跡が見えました。

「昔は誰か住んでいたんだね」

「ここなら周りに大きな木があって台風の時も安全だし、川も近いし、快適そうだね」

「買い物が不便だけど」

「電気も来てないじゃん」

「土地は肥えていそうだな」

今が明治か大正時代ならここは確かに住むのに快適な場所だったでしょう。

昨日までゴリラの葉っぱのベッドで寝て原始人のようなキャンプを続けていた私たちは、今の自分たちが原始時代にいるような気がして、ここに住んでもよさそうだ・・・などど無責任な発言をしています。傾く地面で炊事をして、ゴロリとした大きな石を椅子にして腰を下ろして食事をしていたキャンプの後ではどんな廃屋も御殿に見えます。

そうこうしているうちにまた遠くからエンジン音が…。上流に行っていた遊覧船が帰って来ました。

桟橋から遊覧船に乗せてもらいます。きれいな服装の観光客に見られながら乗船した私たちはそのままデッキに移ります。クーラーの効いた下の船室は空いていましたが、濡れた身体で中に入っていく気はしません。これ以上ジロジロと見られたくもないし、乗せてもらっただけでもありがたいので、汚れて敗残兵のようになった私たちは荷物といっしょにデッキで風に吹かれていました。

船から見る川は静かできれいな水面です。その水面を船の舳先は割って波を作って進んで行きます。
あっという間に港に到着。

船長に丁重にお礼を言って港の売店に入ります。ここで石垣行きの切符を買って、次の定期船の時刻まで時間があるので、売店のベンチで一休み。アイスクリームも売っています。クッキーやせんべいも。

「お、お、おいしい・・・ぅぅぅぅ」

原始時代には絶対なかったおいしい物です。



牧場に帰って、リュックの荷物を出します。ミイちゃんに持ってもらったお米の残り、ビニール袋に入れてきっちり口を縛ってあったはずなのに、どこかに穴が開いていたのでしょう。米がすっかり水を吸っています。袋の口を開けて匂いを嗅ぐと、

「ク、臭っっ!!」

米は川の水を吸って、あの気温の中、何時間も置かれて腐ってしまっていました。

私の荷物には鍋しかありませんから濡れて腐る物はないはず。でも一応見てみよう、と出すと、アルミの丸いコッヘルがあちこちボコボコになっています。

「あ、滝で岩の滑り台をした時だ」

リュックを背当てクッションの代わりに使って滑っていたのでコッヘルが凹んでしまいました。


お湯のシャワーを浴びて、

「ああ、原始時代からタイムマシンで戻ったみたいだ」

などと天国気分を味わっていた時、体の異変に気付きます。

「なんか体中痒い」

「ん?・・・この黒いポツポツは何?」

ポリポリ・・・・・・??・・・・・・!!・・・!!!

「キャッ、ナニ!何これ・・・ダニ??!・・・えええええええっ

湿った地面に木の枝を敷きつめて寝た時に付いたのでしょう。西表の山にはイノシシに付くダニがいます。木の葉の裏にでもダニが居たのを知らずに寝て身体に付いてしまったにちがいありません。
小さいものは黒ゴマくらいの大きさ、大きいのはアリの頭くらいになっています。

これはみんなにも被害があるでしょう。

「ミイちゃん!いっしょにシャワー入ろう」

「やですよ」

「そうじゃなくて、背中にダニが付いているかも知れないから」

「えええっ!いやだああ!取ってくださいー」

手足のダニは自分ではがせますが、お尻や背中に付いたのは人に取ってもらわないといけません。
体中に付いたダニをシャワー室でお互いに取り合いっこして駆除しました。


翌日、イトマンを石垣空港に送って行きました。空港では飛行機に乗る前にイトマンは奥さんに電話をしていました。

「予定の飛行機で帰るから、迎えに来て。それと、迎えに来る時、机の引き出しにあるスペアのメガネ持って来て」


イトマンが帰ってから数週間して、どうしているかと思って電話してみました。

「おもしろかったけどさ、あれから"滝"という言葉を聞いただけでゾオッとしてね、体が拒否反応して不愉快になるんですよ」

気の毒に。

「ダニはだいじょうぶだった?」

「あの後、四、五日気が付かなくて」

「うん」

「風呂で、何となく腕を見たらすごく大きな痣のようなホクロがあって」

「うんうん」

「こんな所に、こーんな大きなホクロがあったかな?!と思ったらブドウの粒のように大きくなったダニだったんですよ」

数日間も血を吸い続けたダニは大きく成長してよく太ったのでしょう。

「それで、痒いし、赤く腫れていたし」

「それまで気付かなかったの?」

「奥さんはね、ボクのダニを見てそれ以来、1週間以上は同じ部屋で寝てくれなかったよ」

最後の最後まで気の毒なイトマンでした。

それからも時々イトマンと話をしましたが、必ずキャンプの話になって大笑いするのですが、"またいっしょに行きましょう"と言いませんでした。


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