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カニステル


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亜熱帯の石垣島の我が家、広~い畑でいろいろな熱帯果樹を植えています。

バナナが一番多いですが、日本では珍しい果物もあります。

カニステルなんて見ただけでは味の想像は付かないでしょう。

カニステル実1

薄い皮を剥いて割ってみると、

カニステルの実の中身

食べる所はホクホクとして果汁がほとんどありません。味は甘く、酸味は感じられません。強いて言えば、焼き芋か、甘栗?

中に大きな種があります。この種が栗そっくり。
カニステル種3
見た目は栗だけど、種は食べられません。

種は蒔いて育てて実が成るのを待つのです。


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お礼の手紙


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骨折の入院中いろいろな方のお世話になりました。

特に毎日リハビリの指導してくれた理学療法士、作業療法士の方には退院後の生活のことも相談に乗ってもらいました。でも、退院したらもうリハビリ室には行く機会はありません。家に帰ってっ元気でやっています、と伝えたくてもその術がありません。お世話になったことのお礼の手紙を書いて、地元の新聞に投稿しました。数日前に掲載されたのでそれをここに載せます。


 骨折した私に骨を折ってくれた人たち

 個人的なことですが、今年の一番の出来事は骨折で80日間入院したことでした。8月に室内で転倒して大腿骨を骨折して八重山病院に緊急入院して手術後1か月過ごし、次にリハビリのために、かりゆし病院に転院して約1か月半入院しました。長期の入院は初めてで、病院のスタッフの方々には本当にお世話になりました。初め本人は骨折しているとは思わずに受診して、骨折と診断、紹介状を書いてくださったヒデ整形クリニックの先生、歩けない私に替わって行方不明のスマホを車の座席の下から捜し出してくれたヒデ整形の職員の方、手術の翌日からリハビリを始めてくれた担当の理学療法士の方、寝たきりで動けない状態の体を洗ってくれて、毎回の食事をベッドまで運んでくれた介護補助やナースの方々、手術後ご多忙の中、病室に毎朝、時には手術着のまま回診に来てくださった担当の外科の先生。
 病院のスタッフの方々に、そのたびに「ありがとうございます」と一日何十回感謝したことでしょう。大腿骨を骨折して身動きできない状態で、身の回りのことはすべてお願いしていました。それがお仕事とは言え、スタッフのみなさん、どの患者にも笑顔で、和やかな会話で接してくれて心が安らぎました。感染予防のために外部の家族知人との面会ができなくて心細い立場でしたからスタッフが優しく接してくれたのは身に沁みました。
 そして順調に骨折部が治癒していくのを確認できると、リハビリのために、かりゆし病院のリハビリ専門病棟に転院になりました。ここでも、家人が県外に旅行中だったので家族の代わりに転院の手続きをしてくれた友人、談話室や売店が無くて不便だろうと、本やお菓子をたびたび差し入れてくれた知人が居てありがたいことでした。
リハビリでは特に、担当の理学療法士のKさん、作業療法士のOさん、にはお世話になりました。リハビリ入院というと、痛みに耐え、歯を食いしばり、泣きながら筋トレをしている絵が浮かぶかも知れませんが、実際は違いました。リハビリ室ではストレッチをしながら話しかけてくれて緊張を解いてくれます。リラックスできます。理学療法士、作業療法士の人は二十人以上いますが、リハビリ室では患者に励ます声はあっても、怒ったり怒鳴ったりする声はありません。見渡すと、リハビリ室のスタッフ、みなさん笑顔で患者に接しています。
理学療法とは、「立つ」「歩く」「座る」などの基本動作能力の回復、作業療法とは、日常生活に必要な動作、「服を着替える」「料理をする」「一人で入浴する」などの練習、と大まかに考えていいでしょうか。作業療法のリハビリでは、指先の訓練なのか、折り紙を折ることやプラスティックの板にきれいな糸で飾って入れ物を作る手芸もしました。私は海の色の糸を使って眼鏡ケースを作り、でき作品は退院時に持ち帰りました。
退院して自宅に戻ってすでに1か月以上過ぎました。今は杖も使わず普通に歩くことができています。階段の上り下りもできます。リハビリは自主トレで続けるつもりでしたが、自宅のベッドが狭くて、リハビリ室のマットで繰り返して行っていた体操やストレッチをしようとするとベッドから手や足が飛び出してしまいます。できることとして天気の安定している日に家の周りの道路を、歩幅を大きく、腕を振って歩く練習をしています。
療法士の方にとっては患者とは一期一会、回復して退院して、また別の患者が入院してきて、の繰り返しでしょう。それでも患者の社会復帰に大きく影響するリハビリの担当者のことを患者は忘れません。持ち帰った作品の眼鏡ケースは自宅台所のテーブルの上に置かれて海の色に光っています。毎日それを見るたびに指導してくれた作業療法士のOさんを思い出します。
多忙な医療関係のスタッフの方々の健康を祈り、私事ながらこの紙面をお借りしてスタッフの方々に感謝の意をお伝えしたいと思います。ありがとうございました。


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骨折で入院(その4)


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家族が近くに居ないので、転院のための面接、手続きに来てくれる人を探さないといけなくなりました。

いろいろ考えた末、20年以上の付き合いの「なっちゃん」に頼んでみることにしました。

なっちゃんは年齢は離れているけど、父さんの大学の後輩に当たります。今は結婚して石垣市内に住んでいます。

電話でお願いしてみると快く引き受けてくれました。ありがとう!なっちゃん。

3週間くらいを目途にリハビリ病院に転院を決める、と言われましたが、転院先の病院の空きができるまで待って、結局初めの入院から1か月後に転院となりました。ちょうど転院の前日に息子が石垣に来ていて、荷物を持ってリハビリのK病院になっちゃんの車で移動する時に合流して会うことができました。

私立のK病院は面会禁止ではありませんが、インフルエンザが街中で流行しているために、面会の条件が厳しくなっています。

面会できるのは14時~16時、一度に面会できるのは2人まで、面会時間は15分以内。

創立25年のK病院、古いだけあって、Wi-Fiもないし、売店も談話室もない。ベッドの角度の調節も県立病院のように電動のリモコンではなく、手回しハンドル。

入院していることを知った近所の方が、入院中は不自由だろうと、お菓子や文庫本を差し入れてくれたので、暇を持て余すことはありませんでした。

新築病院と設備を比べては不公平ですね。ですが、リハビリ専門病棟だけあって、理学療法士、作業療法士の人数が多い!土日も交替で出勤する療法士さんが担当してくれて毎日リハビリを指導してくれます。おかげで初めはウォーカーと呼ぶ歩行器で歩いていたのが数日後には手放しで歩けるようになり、病室とナースステーションの周りの廊下を何百mも歩く練習できるようになりました。
写真はウォーカー。これはピックアップウォーカーという車輪が付いてない物ですが、車輪の付いているものもあります。

ウォーカー

そろそろ退院を考えてもいいか、ということになって、一人でシャワーに入って体を洗うことができるか、簡単な料理が作れるか、と自立した日常生活が送れるか、のお試しがあります。調理実習では献立を考えるところからと言うので、得意の餃子を作ることにしました。野菜を洗って切るところから、できあがって鍋など洗うまでで90分以内。食べる時間は入っていません。30個の餃子を作って、私の分は5個だけもらって残りは出勤の療法士さんたちのお昼になりました。

そしてもう一つ、退院後に生活する家屋の調査があります。トイレや浴室に手摺はあるか、段差はあるか、あっても患者が一人で通れるか、などです。直した方がいいと思える個所はアドバイスをもらいます。
段差や手すりは問題ないと思いますが、このゴミ屋敷というかガラクタ屋敷を実際に見て驚くんじゃないかな。

家を案内してスタッフはすべての段差や通り道の幅など計測して、写真もたくさん撮っていました。
驚いたのは私です。2か月ぶりに入って見た我が家。2か月以上空き家になっていたのであちこちカビだらけ。2週間前に父さんは自宅に戻ったのですが、トイレも浴室も掃除をする人ではないので、すごいことになっていました。まあ、退院したらぼちぼちやります。

家屋調査はOKなようです。数日後に退院が決まりました。

退院の日、帰る途中にスーパーに寄って、お惣菜のコーナーでパック入りのお寿司を買って、帰宅してパクつきました。

そして、今はイビキの聞こえない静かな部屋で眠り、夕方は外に出て歩道を歩く練習、距離も毎日数十mずつ延ばしています。
病院で習ったリハビリのストレッチや体操は、するのに充分な広さが取れる室内ではないのですが、苦労して体を斜めにして行っています。
畑に行くところの急な石段や、ヤギの見回りに行くところの肩の高さまで伸びたチガヤの草むらなどは今の私には通れませんし、通らない方がいいようです。転んだらまた骨折、入院です。
入院中に骨密度の検査をしたら、骨粗しょう症と診断されました。栄養にも気を付けて、畑に行ったりヤギの見回りに行ったり草むしりしたりしていたのに。入院中に骨粗しょう症の治療の薬を処方されて毎日飲み、退院後にも次回の外来診察の日までの薬をだしてくれました。

しばらくは転倒しないようにおしとやかに動きます。


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骨折で入院 (その3)


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入院生活は想像通り、制約がありました。6時起床、9時消灯、朝食8時、昼食12時、夕食6時、という時間割。コロナ禍のため、家族や知人の面会は禁止、患者も病棟の境を越えて隣の病棟に行くことはできません。

食事は毎食ベッドまで運んでくれます。食べ終わる頃に食器を回収に来てくれます。上げ膳据え膳でありがたいことです。

ただ、病院の食事は味付けが薄い。栄養士の人が計算して必要な塩分だけを入れて調理してくれてるはずなんでしょうが・・・。
この汁物、もうちょっと塩か醤油加えて欲しいなあ、と思ってしまいます。

おかずも汁物も火傷など絶対にしないくらいの安全な温度です。写真はある日の昼食。

病院の給食


手術の翌日から少しずつですが、もうリハビリが始まります。車椅子でリハビリ室まで移動して、平行棒のような両側が手すりになっている所で、立つ、歩く、の練習。歩くと言ってもほんの少しずつ進むだけ。秒速10cmのスピード。両側の手すりを頼りにじりじりと進み、平行棒の3mの距離が長く感じます。担当の理学療法士の方がぴったりと後ろについてガードしてくれているので安心です。今日のリハビリはここまで。

さて、O橋さん親子が帰って行ってから3日後に、父さん、飛行機に乗って和歌山に行く予定でした。目の網膜の黄斑浮腫という病気で景色が歪んで見える症状がもう何年も前から続いていました。視力も落ちてきています。手術で治すにも、島内の眼科では設備が無く手術できません。沖縄本島か他府県の眼科のある病院で手術することになります。目の手術は父さんの実家のある和歌山県の眼科の病院に予約をして、飛行機の切符も取ってありました。

ですが、私がこんなことになって、父さんの目の手術はしばらく延期してもらうことになります。私はしばらく入院だし、退院しても今までのように畑や動物の世話をしててきぱきと働くことはできないでしょう。

少なくとも入院中は、父さんが居なかったら誰が動物にエサをやるんでしょう。

2か月くらい、飼っている動物のエサと、100m離れた草地に繋いで飼っているヤギの見回りを頼める人はいませんから。

と思っていましたが、
「予定通り、明後日飛行機に乗って和歌山行くよ」

「え、えええ?動物はどうするの?」

「弟が週に2回くらい世話しに来てくれることになった、よかった」

父さんの弟、石垣の街に住んでいます。勤めがあるので休日の1日と、平日の半日、年休を取って車で30分かけてうちの豚、イノシシ、ヤギ、鶏、の面倒を見てくれて、畑も見て食べごろの野菜があったら収穫して食べてくれることに納得してくれたというのです。なんとありがたいこと。いやいや、だからと言って、私はほとんど歩けず入院中なんですけど。

「入院中の私を置いて行くの?行かないでよ」

「ヤダよ、今頃そんなこと言うなよ、弟にお願いして承知してくれたんだから、今更変えられないよ。行かないでくれなんて一言も言わなかったじゃないか」

いや、言わなくても・・・。

「それに、面会は一切禁止だし、患者の世話は病院でしてくれるんだし」

それはそうですけど・・・。

で、結局父さん予定通りに手術から3日後に飛行機に乗って行ってしまいました。

そして予定通りなら2か月間帰ってきません。目の手術後の検査、実家のちかくのプレハブ倉庫が夏の台風で壁が壊れたのでその修理、その他、空き家になっていた実家の点検修理、ついでに海で魚や貝を取り、山でキノコを採り、と、そっちの方が長いんじゃないか。

子供たちは他府県と海外に住んでいます。ハイ、明日から交替で病院に来てね、というわけには行きません。

入院したことを家族LINEで知らせました。すぐにでも行ってあげようか、と娘は言ってくれましたが、乳飲み子抱えて来てもらうのは申し訳なく、それこそ完全看護の病院なので、一人で何とかすることにしました。

数日後にはリハビリのおかげで歩行器で病院の廊下を一人で歩けるようになりました。

新しい県立病院は1階の外来受付近くにコンビニがあります。歩行器でゆっくり歩いて3階の病室からエレベーターで下りて買い物に行かれます。少し自由になった気になります。

設備が新しいだけあって、院内は無料Wi-Fiが使えます。テレビは患者一人に1台ありますが、テレビカードが1枚1000円で16時間くらいで切れます。同じカードで個別の冷蔵庫も利用します。冷蔵庫は24時間で100円くらい。テレビくらいは節約しないと。フリーWi-FiがあるのでTVerを使ってスマホで観ることにしました。観たい番組は消灯時刻の9時以降にあるので観られないから別の時間にスマホで観ます。

手術担当だった整形の先生は毎朝外来診療やその日の手術が始まる前に病室に回診に来てくれます。患者が多いので、一人1分間くらいの問診ですが。私は自分が受けた手術のことをまだ詳しく聞いていなかったので質問すると、翌日手術後のレントゲン写真をプリントした物を持って来てくださいました。ボルトが大腿部の骨折したところに3本入っているのがはっきり写っていました。このボルトは昔のように数か月後や数年後に再手術で抜く必要は無いのだそうです。ボルトはチタンでできていて、MRI検査の撮影にも影響はないそうで安心しました。手術の傷口も、溶ける糸を使って縫合しているので抜糸の必要は無く、そのままきれいに治りました。

骨折部分も順調に治って行きました。ですがここで困ったことが起きました。この県立病院では、手術として順調に回復して来たら、その後のリハビリはリハビリ専門病棟のある、他病院に転院してもらうことになっているそうです。リハビリの理学療法士や作業療法士の数も設備も患者数のわりに圧倒的に足りないのです。さいわい、市内にリハビリ専門の病棟のある病院があります。手術数週間後に転院して歩けて日常生活が送れるようになるまでリハビリ入院させてもらうことにします。

ところが、転院先の病院には、事前に家族が事前に面接に行って申し込まないといけないと言うのです。患者本人だけではダメだそうで、転院の日もタクシーで一人で行こうと思っていましたが、家族に付き添ってもらって入院手続きをしてもらわないといけないのです。義弟クンには畑と動物の世話で手一杯、もうこれ以上は頼めません。

「家族は今近くに居ないんですけど・・・」

相談員に相談しますが、

「市内にいるお友達でもいいですから、どなたか頼めませんか?」

家の近所の方々は高齢になっていますし、若い方は、平日に仕事休んで病院に何度か来てもらうのも気が引けるし、そんなに親しい付き合いでもないのでした。今、北京の大学で研究員をしている息子が研究発表で一時帰国してついでに石垣に数日帰省する予定がありますが、それはまだ先なのでちょっと遅い。石垣には2泊しかしない予定だし。

どうしたらいいのか困っていたのでした。

                                    つづく

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骨折で入院 (その2)


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即刻入院と言われても、心の準備も持ち物の準備もできていません。

とにかく父さんたちに連絡しなきゃ。いや、スマホが無い!待てよ、出かける前に必ずズボンのポケットに入れたはず。もしかすると、ポケットからスマホが滑り落ちて座席の下にでも入り込んでしまったかも。今までにもそういうことは何度かありました。

「すみませんが、私の車の近くに行って電話をかけてみてくれませんか?」

スタッフに頼みました。

「車の中で着信音が鳴ってますよ!」

車のキーをスタッフに渡してスマホを探して取って来てもらいました。

ああ、これで連絡が取れる。

まず、西表のキャンプ組に明日は港ターミナルに迎えに行かれなくなったことを連絡しなければ。でもキャンプ中は電波の届かない場所にいるか、バッテリー節約のためにスイッチを切って、1日に1回の定期交信の時だけスイッチをONにするのが習慣です。
西表の港から無人島まで運んでくれたチャーター船の船長さんに連絡が付きました。

骨折したこと、県立病院に入院することになったこと、明日港に迎えに行かれなくなったので自力でHクリニックまで来て駐車場に置いてある車に乗って帰ってもらいたいこと、キーは私が持っているから県立病院まで取りに来て欲しい。というような内容を手短に船長に話して、翌日無人島に迎えに行ったときに伝えてもらうようにお願いしました。

スマホが見つかったので自宅に帰る必要がなくなり、即、県立病院に入院することになりました。紹介状を書いてもらいタクシーを呼んでもらいました。が、観光客が多い季節でタクシーが出払っていてなかなか来てくれません。クリニックの車に乗せてもらって県立病院まで行こうとしましたが、すでに車椅子から立ち上がって車に乗り込むことはできなくなっていました。

結局救急車を呼んでもらってストレッチャーで運ばれることになりました。

救急車の中で若い救急隊員が話しかけてきます。この隊員はなんと息子の高校の時の1年後輩で同じ部活で練習していた仲でした。
同じ部活仲間の友達が今どうしているか、など世間話をしながら救急車は県立病院の救急室に着き、救急車のストレッチャーから救急室のストレッチャーに滑るように移されました。この間寝たきりの私に見えるのは天井ばかり。この寝たきりの姿勢が3日間続きます。トイレは尿道カテーテルなので動く必要はありません。

手首に、氏名、生年月日、バーコードの印刷された防水の丈夫な個人認識票のテープを巻かれ、持ち物のショルダーバッグはベッド近くの移動可能な床頭台という戸棚の中に入れてもらいました。そして貴重品は床頭台の引き出しのセイフティボックスに入れてもらって、カギは手首にはめるようになっていました。

「このカギは24時間手首にはめて置いてください、手術中もです」

手首に巻いた認識票にはバーコードが印刷されていて、レントゲンを撮る時など職員がバーコード読み取りで、ピッ、とチェックします。なんか、自分が商品になったような気がしないでもない。

「ご主人と連絡つきましたか?」

「明日迎えに行ってくれる船長に連絡ついたので伝言を頼みました。明日夕方来てくれると思います」

「では、手術の同意書はその時に書いてもらいましょうかね」

骨折の手術の説明、内容の承諾、などサインの必要な書類が何枚もあります。患者本人でも良いものは次々と寝た状態でサインしました。

点滴を左腕、血圧計を右腕にして寝返りもままならぬ状態でした。それでも、

「明日手術の予定ですね。シャワーに入って身体をきれいにしましょう」

と、血圧計だけ外してストレッチャーのままシャワー室へ移動されました。シャワー用のストレッチャーに滑るように移されて、頭も体もお湯のシャワーをかけられて寝たままきれいに洗ってもらいました。看護助手の方々、慣れたものです。短時間で洗って拭いて新しい病院衣を着せて髪の毛をドライヤーで乾かして髪を梳かしてくれます。

午後になって、船長さんから骨折で入院したことを聞いた父さん、私に電話かけてきました。

県立病院は、港からちょっと離れています。石垣新空港ができて、使われなくなった旧空港の跡地に5年前に新築移転したので建物、設備は新しくきれいになりましたが、港や街中からは遠くなり、歩くと40分くらいかかります。タクシーかバスを使って病院まで来てください、とLINEで伝えましたが、読んだんでしょうか。

「今病院の下にいるんだ。面会禁止だから病室まで入って行かれない。看護師さんに車のカギを渡してくれ」

コロナ禍で面会が全面禁止になっていると私はその時知りました。ずっと天井ばかり見ていたから、壁に掲示されている注意書きも見えず、自分が何号室に運ばれたのかもわかりませんでした。

看護師さんに車のカギを預けて電話で、
「整形の手術担当のお医者さんが会って話したいそうよ」

「いや、すぐ行かなきゃ。今、獣医さんの車に乗せてもらって病院まで来てるんだ。仕事中の獣医さんを待たせているから時間が無いんだ」
市内に住んでいる知り合いの獣医さんにお願いして病院まで送ってもらったのでしょう。

カギを受け取るとすぐ行ってしまったようです。

あとで手術担当の整形の先生が病室まで来てくださって、

「ご主人すぐ帰っちゃったんですか、気が短い方ですか」

「そういうわけでもないんですが・・・」

「手術明日しようと思いますが、どうします?」

「それは家族は同意しています。ぜひお願いします!」

「そうですか、では明日の朝に手術しましょう」

翌日、早朝にまた点滴が始まり、背中に下半身麻酔の注射を打たれて手術開始。
「マスクは外さないでください、手術中もです」

へ、手術中も?酸素吸入なんてことになったらどうするのかな、マスクの上から酸素マスクするのかな?

そんなことを考えているうちに、手術開始。麻酔が効いているので痛くはないし、点滴もされていて意識がぼんやりしてきます。

折れた骨を固定するボルトが大腿部の骨に入れているらしい音も夢の中で聞いていた気がします。

昼には手術が終わりました。そして夕方にはO橋さん親子は石垣の空港から帰って行ったことでしょう。

O橋さん親子を空港に送ってから父さんは病院に来てはくれましたが、もちろん面会はできません。前もって頼んであった差し入れして欲しい物、(タオルや日記帳、コップなど)をエレベーター前の守衛さんが居る所に預けてもらい、看護師さんに持って来てもらいます。
実際には、パジャマ、バスタオル、フェイスタオル、の他、歯ブラシ、ティッシュペーパー、ウェットティッシュ、など日常使う物は病院で用意してくれていました。業者による有料の入院セットですが、急な入院や一人暮らしの患者にとってはありがたいセットです。

病室は4人部屋です。個室やトイレ、シャワーの付いた特別室もありますが、料金も特別なので私は4人部屋で充分です。部屋は何回か替わりました。初めは緊急入院だたのでとりあえず空いていたベッドに、手術直後はナースステーションに近い部屋、落ち着いたらナースステーションから遠い部屋、という風に。また退院する人や入院して来る人もあって、4人部屋のメンバーはめまぐるしく替わります。

そこで気が付いたこと。メンバーが替わっても、4人のうち1人か2人は大きなイビキをかきます。必ずです。イビキ率25%~50%。

うるさくて眠れません。でも、私も眠っている時にイビキをかいているかも知れないし、夢を見て大声で寝言を言って自分の声で目覚めたことも実際にあって迷惑だったろうと思うとイビキに文句も言えません。

うなされた悪夢とは、1回目はゾンビに襲われて絶体絶命で「ワーーーッ!!」と叫んだこと。2回目は部屋に不審者が入って来て「誰だ---っ!」と叫んだこと。どちらもルームメイトや巡回の看護師さんに「大丈夫?」と言われました。

怖い夢を見るということは、ストレスが溜まっていたのでしょう。そのストレスは隣のベッドの人のイビキかも知れないと自分勝手に思うのでした。


                         つづく


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